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上野街道(うえのかいどう)は、京都と鎌倉を結ぶ鎌倉街道のうち、愛知県名古屋市瑞穂区を通る部分の通称。
瑞穂区の鎌倉街道は別名上野街道と呼ばれている。(根拠は『尾張徇行記』に記されている。)
「上野之路」は『張州雑志』によると「井戸田より鳴海に至る」上野と呼ぶ者あり。『尾張徇行記』にも「此のあたり上野街道の跡なると疑いなし。
すべて東海道が成立しない前のことである。[1]
ルートの出典[2]
「なるみ潟 汐干に浦や なりぬらむ 上野の道を行く人もなし」
(藤原景綱:平安末期の武将)
一前条ニ所戴ノ石地蔵ヲ府志ニ道祖神ノ像トスル説ニヨリテ、今村ニ就テ上野ノ路ノ跡ヲ尋ヌレハ、大喜村ノ東ニ烏帽子街道と云字ノ所アリ、又ソレヨリ井戸田八幡ノ神主宅ノ前ノ地ヲ、於今上野街道ト字ヲ呼ヨシ、サレハ此アタリ上野街道ノアトナルコト疑イナシ、此村桜村古鳴海程近シ[3]
藤原師長謫居跡 - 嶋川稲荷の中に謫居址の碑がある。井戸田付近に流された太政大臣藤原師長の屋敷があった[4]。
亀井山龍泉寺 - 行基(670-750)が開基した薬師寺という大寺の塔頭に龍泉庵・龍雲庵・福伝院・妙喜院・蔵伝庵の5庵あり、応仁の乱(1464年)の頃に龍泉庵のみ残り、亀井山龍泉寺となる[4]。