へんば餅(へんばもち)は、三重県伊勢市の有限会社へんばや商店が製造販売する商品である。
餅は丸く平らに潰した形で、両面に焼き色があり、餅の中に漉し餡が入っており、餅は独特の食感である。
「へんば餅」の由来については、参宮道中の「返馬所」で売られた餅であるからと、製造元であるへんばや商店が公式に示している[1]。返馬所とは各地から馬等で伊勢神宮を参拝する人達が宮川を渡る際に馬を返させる場所である。
一方で「へんば」という語句は、折口信夫の「三郷巷談」によると「あばた(痘痕)」の方言(大阪)と記されている。現在ではほとんど用いられることがないが、三重県南部から奈良県、大阪府にかけて用例が見られた[2]。また、三重県の東紀州地方には、小麦粉に砂糖を練りこんで円盤状にしたものを鉄板で焼き焦げ目をつけた郷土食「へんば焼き」があり、その名の由来は表面の焦げ目が「あばた」つまり「へんば」に似ていることからとされている[3]。
地元では、次のような昔話が残っている[4]。
昔々、この付近の村で疱瘡が流行し人々は大変苦しんだ。奥乃という娘の家も、家族のほとんどが疱瘡にかかったが、奥乃だけは元気であった。奥乃は器量もよく優しく、病に付した家族の面倒も良く見た。また、医療という医療、薬という薬がない時代、奥乃は、参宮に向かう人が馬をつなぎ、馬を帰す「返馬所」に建てられた鳥居前から伊勢神宮を拝み、家族の回復を祈っていた。ある日のこと、病気で疲れた父親が「顔のあばたを見て手当てをしたい。鏡を探してきてくれ」と頼むが、この時代、鏡などはよほど裕福な家しかなく娘は困ってしまった。鏡を手に入れるすべもなく、何とか父親に顔の様子を見せてやりたいと奥乃は思案にくれた。
ある日、米櫃の中の米を見て、父親の気を紛らわすために好物の「おたふく餅」を作ることを思いついた。餅をつき、おたふく餅ができあがり、おたふく餅に網で焦げ目をつけて焼いていると、餅の焦げ目が父親のあばた顔そっくりになった。奥乃は、早速床にいる父親のところに持っていき「これはお父さんの顔にそっくりじゃ」と言って渡すと、父親は喜んで「私の顔はこのようになっておるのか」と、餅を表にしたり裏にしたり見ているうちに、父親の顔色はしだいに良くなり、あばたも綺麗におちた。奥乃はすぐに、兄姉にも食べさせると、見る見るうちに疱瘡が治った。
それでこの村の人々は、この餅菓子を売り出すことにした。村人たちが餅の名前を「鏡餅」にしようか「焼餅」にしようか錯誤していると、近所の老婆が「奥乃がいつも返馬所のところで伊勢神宮を拝んだおかげで病が治ったのだから、『返馬餅』じゃ」と言った。こうして「へんば餅」と名付けられ、返馬所で売り出されるようになった。
そして返馬所一帯から疱瘡は消えうせたと語り継がれている。
「へんば」と「あばた」を連想させる語り伝えであり、本来は「痘痕」に由来するものであったのを、食べ物を病痕になぞらえるのを嫌って、後世に参宮街道の三宝荒神鞍掛の馬の話と結びつけ、「返馬」の文字を当てたものとの説もある。[5]。
2007年(平成19年)10月31日、原材料表示に「水飴」と「食塩」を記載していなかったとへんばや商店からの申し出があり、三重県農水商工部と伊勢保健所は、11月1日にJAS法違反の疑いで本店に立ち入り検査を行った。その結果、原材料の表示漏れ以外に、原材料の表示順が重量順ではなかったこと、一部の商品で消費期限以外の表示が購入時に見えないことが新たに判明、へんばや商店は伊勢保健所からの指導を受けて11月3日から表示を訂正した。その後、11月30日に伊勢保健所は食品衛生法違反に対して始末書処分、三重県農水商工部はJAS法違反に対し文書指導を行った[6][7][8]。
へんばや商店本店 | |
種類 | 有限会社 |
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本店所在地 |
日本 〒519-0501 三重県伊勢市小俣町明野1430-1 |
設立 | 1976年(昭和51年) |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 7190002009642 |
事業内容 | 和菓子・食品の製造販売 |
代表者 | 代表取締役:奥野耕二郎 |
資本金 | 300万円 |
従業員数 | 30名 |
外部リンク | http://henbaya.jp/ |
へんばや商店(へんばやしょうてん)とは、三重県伊勢市小俣町に本店がある和菓子店。