フェリーとね

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フェリーとね
基本情報
船種 フェリー
船籍 日本の旗 日本
所有者 東九フェリー(1973-1975)
新日本海フェリー(1975-1987)
大阪国際フェリー(1989-1993)
運用者 東九フェリー(1973-1975)
新日本海フェリー(1975-1987)
大阪国際フェリー(1989-1993)
建造所 幸陽船渠[1]
姉妹船 フェリーてんりゅう[1]
航行区域 沿海[1]
船級 JG[1]
IMO番号 7302110
経歴
起工 1972年12月6日[1]
進水 1973年2月3日[1]
竣工 1973年6月10日[1]
就航 1973年12月
要目
総トン数 8,190トン(フェリーとね)[1]
9,757トン(檀皇)
載貨重量 3,494 kt[1]
排水量 10,165 kt(満載時)[1]
全長 162.0 m[1]
垂線間長 151.0 m[1]
型幅 26.4m[1]
型深さ 8.8 m[1]
満載喫水 6.3 m[1]
機関方式 ディーゼル
主機関 IHI-SEMT-Pielstick 18PS2V 2基[1]
推進器 プロペラ2軸
出力 9,000PS×2基
最大速力 22.8ノット[1]
航海速力 21.0ノット[1]
旅客定員 596名[1]
乗組員 54名[1]
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フェリーとねは、東九フェリーが運航していたフェリー。後に新日本海フェリーフェリーしらゆり大阪国際フェリー檀皇としても就航した。

概要

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関光汽船が設立した東九フェリーの航路開設にあたり、僚船のフェリーてんりゅうとともに幸陽船渠で建造され、1973年12月に東京~小倉(日明)航路へ就航[2]した。

1975年10月、すずらん丸と交換で、フェリーてんりゅうとともに新日本海フェリーに売船され、フェリーしらゆりとなる[3]1980年2月からは新潟~小樽航路へ転配された。1987年4月、ニューしらゆりの就航により引退、係船される。

その後韓国の国際フェリーが購入、檀皇と改名して、1989年4月より大阪釜山航路に就航し、1990年7月に日本側の発着地を神戸港に変更した[4]。その後1993年2月に航路が運休となり[5]1997年フィリピンに売却された。

船内

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フェリーとね時代[1]

  • 特別室(計4名)
  • 一等室(計48名)
  • 特二等室(計56名)
  • 二等室(計390名)
  • 運転手室(計98名)

壇皇時代

Cデッキ
  • インフォメーション
  • レストラン
  • マルチホール
  • 免税店
  • 2等室カーペット(5名1室・9名1室・10名2室・11名1室・20名2室・8名2室)
  • 2等室ベッド(54名1室・44名1室)
Bデッキ
  • サロン
  • 貴賓室(洋室 2名×2室)
  • 特等室(洋室 2名×4室)
  • 1等室(和室 4名14室)
  • 特2等室(洋室 14名4室)
  • 2等室カーペット(8名2室・11名5室・13名2室・15名4室・16名2室)
  • 2等室ベッド(54名1室・44名1室)

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 新造船写真集 自動車航送旅客船 フェリーとね FERRY TONE 東九フェリー株式会社 - 船の科学1973年7月号
  2. ^ オーシャントランス株式会社 会社沿革”. オーシャントランス株式会社. 2015年11月1日閲覧。
  3. ^ 新日本海フェリー 会社案内 沿革”. 新日本海フェリー. 2015年10月31日閲覧。
  4. ^ 山田廸生「「オリンピア88」と「檀皇」のグレード差」- 旅客船No.174(日本旅客船協会)
  5. ^ 日韓フェリー運休 国際、大阪国際フェリーが相次いで - 内航近海海運1993年5月号

Licensed under CC BY-SA 3.0 | Source: https://ja.wikipedia.org/wiki/フェリーとね
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