『子ほめ』(こほめ)は古典落語の演目の一つ。別題は『赤子褒め』。
原話は寛永5年(1628年)、安楽庵策伝著の『醒睡笑』・巻一中の『鈍副子第十一話』。元々は上方落語の演目で、3代目三遊亭圓馬によって東京落語に持ち込まれた。いわゆる前座噺に数えられる。
隠居の所へやってきた八五郎。入ってくるなり酒を飲ませろとねだる。隠居は、人にごちそうしてもらいたかったらお世辞のひとつも言えなければいけない、例えば道で知人に出会ったら相手に年齢を尋ね、お若く見えるとおだてれば喜ばれるぞと諭す。
仲間の竹に赤ん坊が生まれたので、祝いに行けば酒をおごってもらえると算段した八五郎が赤ん坊のほめ方を尋ねると、隠居はていねいに教えてくれる。八五郎は喜んで町に出ると、顔見知りの伊勢屋の番頭に出会い、さっそく褒めて酒をおごってもらおうとするが、とんちんかんな会話になってしまい、酒にありつけない。
次に竹の所を訪れるが、いざ褒める段になるとまともな褒め言葉がまったく出てこない。最後の手段で赤ん坊の年を尋ねると、竹が「(数え年で)一つだ」と言うので「一つにしちゃあ大変お若い、どう見てもタダだ」。
タダ酒が飲めるとの噂を聞きつけ、訪ねて来たアホの男。真相は「タダの酒」ではなく「灘の酒」の聞き間違いであったが、人を褒めてタダ酒を飲む方法を教わる。その方法とは、相手に年齢を尋ね、年配の者には若く見える、年若の者にはしっかりして見える、とおだてて酒や肴を奢ってもらい、赤ん坊の場合は、顔をよく見て人相を褒め、親を喜ばせてご馳走になるというもの。
それではと通りに飛び出すと、伊勢屋の番頭に遭遇する。しかしいざ声をかけようとすると、「町内の色男」と逆に褒められ、ご馳走をさせられそうになる。
そこで、近所にある、子供ができたばかりの竹の家を訪ねる。赤ん坊を褒める魂胆であるが、間違って奥の間で昼寝している爺さんを褒める。改めて赤ん坊に臨むが、顔を見ては猿のようだと言い、無理やり挨拶を教えようとしたり、お腹を押してみたり。そのうち、もみじのような手だと初めて褒めたものの、やはり(その手で)祝い金をよく取ったと言ってしまい、あきれられる。
仕方がないので、教えてもらったとおり人相について褒めようとするが、これもなかなかうまくいかない。最後の手段で年を尋ねると、竹が「そんな赤ん坊に年を尋ねるもんがあるかい、今朝生まれたとこや」と言うので、
「今朝とはお若う見える、どうみてもあさってくらいや」