B BOY PARK B BOY PARK | |
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通称・略称 | BBP |
開催時期 | 8月中旬 |
初回開催 | 1997年 |
会場 | 代々木公園・野外ステージ |
最寄駅 |
東京地下鉄○千代田線・○副都心線・明治神宮前駅 東京地下鉄○千代田線・代々木公園駅 小田急小田原線・代々木八幡駅 |
B BOY PARK(ビー・ボーイ・パーク)は、1997年から2017年まで、毎年夏に代々木公園・野外ステージで行われていた日本最大規模のヒップホップのブロックパーティである。
アーティストによるライヴやパネルディスカッション(トークショー)の他、1999年からは一般参加によるMCバトル、B-BOYバトル(ダンスバトル)、DJバトルが行われていた。 なお、初年度のみ「Tokyo B-BOY'S ANNIVERSARY」というタイトルだった。
原宿のホコ天(歩行者天国)をルーツとするストリートカルチャー、日本オリジナルのヒップホップシーンを、若い世代に健全な文化として理解を深めるため、入場無料で気軽に参加することができ、ヒップホップ文化の純粋性を持続的に発展させるためとの企図から開催する行事となっており、ヒップホップの4大要素である「DJ、MC、GRAFFITI、BREAKIN'」の発展のため、自発的な参加により開催されている。
観客に自発的なゴミ拾いを促したり、携帯用灰皿製作等、環境キャンペーンにも取り組んでいる。
2007年のB BOY PARKはちょうど開幕後10周年に当たり、8月17日から8月19日までの3日間にわたって開催。ライブには、ZEEBRA、K DUB SHINE、童子-Tらが参加した他、活動休止中であったRHYMESTERもサプライズで登場。般若は未発表長編DIS SONGをステージで披露し、湘南乃風や加藤ミリヤ、DJ KAORI、更には般若の前に登場したKREVAやK DUB SHINEなどを激しくDISした。
8月18日には「“おれがオーガナイズ2007夏-3 Party” B BOY PARK feat.LITTLE」というLITTLE主催のライブイベントも行われ、過去のB BOY PARKの秘蔵映像の上映会や、パネラーのトーク、ライブなどが行われ、MADHAND、HOSHIKUZU4、BLAST RAMPAGE、SONOMI、CUEZEROらが参加した。
2009年8月22日から8月23日の二日間にわたって開催[4]。長年、実行委員を務めてきたCRAZY-Aの不祥事および同イベントの実行委員長辞退により、開催そのものが危ぶまれたが、ZEEBRAが実行委員長となり、無事開催された。実行委員にはダースレイダーなどが参加し、「新生B BOY PARK」を目指し、例年にはない様々な試みがなされた。その1つとして、長年行われてこなかったMCバトル、DJバトルを「20歳以下限定」という形で復活された。この年齢制限は、2005年からB BOY PARKとは別の主催で開催されているフリーエントリーの「ULTIMATE MC BATTLE」との差別化、また新しい若手のエースを生み出すためである。また、それに伴い、知名度、キャリア共にある著名MCが3人チームとなって闘う「3 ON 3 PROFESSIONAL MC BATTLE」が開催された[1]。
直前まで出演者が発表されないうえに、多数の出演者が短いライブをし、「紙資料にB BOY PARK出演とか書きたいだけの現場感のない、誰も知らないようなレコード会社発信のアーティスト」も出演してしまう例年のライブ状況を改善するため、事前投票により出演者を決める「PEOPLE'S CHOICE」が行われた[5]。選ばれた出演者は、ZEEBRAや般若、ANARCHY、JUSWANNAなどであった。
その他にも、8月23日には第三会議室の公開収録が行われた。番組MCのK DUB SHINEと宇多丸に加え、実行委員長のZEEBRAとMummy-Dが乱入したことにより、キングギドラとRHYMESTERのメンバーが揃った。
2010年8月21日から8月22日の二日間にわたって開催。2009年の同イベント中およびその後の発言などから、当初は2010年の実行委員長も引き続き、ZEEBRAが務めるものと思われていたが、自身のツイッターで2010年度の同イベントには関わらず、自身は同日にハワイでライブを行うと発言。そのため、この年の実行委員長はDJ YUTAKAが務めた。(その後、自身のツイッターで2009年の運営に実行委員長として責任を感じ、2010年度は実行委員長を辞退したこと、2011年からまた再び関わることを明かした[2]。)
前回、「新生B BOY PARK」を掲げて様々な試みを行ったZEEBRAやダースレイダーが参加しなかったこともあり、前回は行われた「3 ON 3 PROFESSIONAL MC BATTLE」や「PEOPLE'S CHOICE」などのイベントは行われず、良くも悪くも「例年通り」のイベントとなった。
ライブは21日にR&B、22日にヒップホップのアーティストが中心に出演した。
イベントの最後にCRAZY-Aが登場し、自らの不祥事の謝罪とともに、2011年も引き続きDJ YUTAKAが実行委員長を務め、自身は2012年から復帰すると宣言した。
同イベントに数多く出演し、トリも飾ってきた般若は、同日に開催されたOZROSAURUSや漢が出演する対抗イベント「BAD BOY PARK」に出演した。
2011年1月23日にJCBホールで開催された。全国の予選を勝ち抜いた参加者たちによるMC BATTLE全国大会決勝戦のほか、KREVAやAI、RINO LATINA IIなどのライブも行われた。
MC BATTLE全国大会決勝戦では、MCバトル歴代優勝者であり、シード選手でもあった漢、晋平太等をおさえ、関東代表のPONYが優勝を決め、賞金200万円を獲得した。また、その際、MC BATTLE3連覇を果たし、殿堂入りを果たしていたKREVAが約5年ぶりとなるフリースタイルを披露した。
2012年8月17日から8月19日の3日間にわたって開催された。15周年を記念して3日間に亘って開催され、DJ YUTAKAの要望によりSEEDAが初登場したほか、トリとしてKGDRが登場した。また、この年、予てからの宣言通りCRAZY-Aが実行委員長に復帰する。
2013年8月16日から8月18日の3日間にわたって開催。今回は代々木公園野外ステージでのライブが出来ないため、野外ステージ前に新たなステージを設けての開催となった。DJを使うイベント(BBOYPARKも含む)では、音量を固定していてもDJがミキサーを使って音量を上げることができてしまい、今まで再三再四音量については注意があったらしいが今回からDJブースの設置は禁止となった。
今年はBBOYPARKでは初となる、アイドルグループLinQが出場。若手の出場が多くなった今回だが、17日のトリはNIPPS率いるTETRAD THE GANG OF FOUR、18日はK DUB SHINEとDJ OASISが務めた。
2003年8月14日、恵比寿の「EBiS303」にてMCバトルの本選が行われた。司会はMC RYU。審査員は、荏開津広、GANXSTA D.X、小林雅明、古川耕、BOY-KEN、柾虎、DJ YAS、ROCK-Teeの8名。審査方式は、各審査員が赤色と青色の旗を持ち、4本以上の旗が揚がった方が勝者となるシステム。引き分けとなった場合は、観客の声援でジャッジを下すというものだった。
準決勝の「漢 対 MC USK」の際、準決勝開始前の小休憩で席を外した数名の審査員がなかなか戻って来なかったため、司会のMC RYUが「審査員が帰って来ないから、準決勝からはもう観客の声援だけでジャッジをします」とルールを変更してしまい、観客のジャッジで青コーナーの漢が一旦勝者となった。
その後戻ってきた審査員は大会を中断し、MC RYUのルール変更に抗議し試合をやり直すべきと主張。これに対しMC RYUは、「俺もうどうしたらいいか分かんねぇや!」と司会を放棄。結局試合をやり直すことになり、この展開に会場は終始ブーイングの嵐に包まれ一触即発の事態となった。準決勝再試合の判定は、観客の「青! 青!」という大合唱の中、赤5本、青3本で赤コーナーのMC USKが勝者となった。漢は前年の優勝者でもあったため、2003年も優勝候補として期待されていたが、この事件に巻き込まれて敗退してしまうという結果になった。
その後、こうした一連の手際の悪さや、バトルにおけるしっかりとしたルール体制が成されていない点、翌年からは審査員をやりたがる者が減ったことなどもあって、翌2004年以降はB BOY PARKの目玉だった各バトルコーナーが減少・縮小された。
「B BOY PARK 2009」において「新生B BOY PARK」(後述)を目指し開催されたイベントの一つ。
長年行われてこなかったMCバトルが「20歳以下限定」という形で復活されたことに伴い、知名度、キャリア共にある著名MCが3人チームとなって闘う同大会が開催された。優勝はチームNo.4だった。
同イベントの初期から現在まで行われている長寿イベントの一つ。
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