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| Face 2 fAKE | |
|---|---|
| 出身地 |
|
| ジャンル | J-POP、サウンドトラック、R&B、HIPHOP、 CM、 |
| 職業 | 作曲家・編曲家・音楽プロデューサー |
| 活動期間 | 1995年 - 現在 |
| レーベル | avex trax, Sony, テイチク, トイズファクトリー, Victor, フォーライフ, ポニーキャニオン, WMJ, ユニバーサルミュージック |
| 公式サイト | |
| メンバー |
Achilles Damigos Oh!Be |
Face 2 fAKE(フェイス・トゥ・フェイク)は、1995年に作曲家、音楽プロデューサーのAchilles DamigosとOh!Beによって結成された日本国内初[1]の音楽プロデューサー・ユニット。
1995年の活動開始から現在に至るまでの間、様々な方面で幅広い創作活動を行う。両者は 作曲家,編曲家,音楽プロデューサーとして、R&B、ブラックミュージック、ロック、ポップ・ミュージック、ジャズ、 クラシック音楽、ダンス・ミュージック等、多種多彩な音楽をこなし、KinKi KidsやV6、SMAP等シングル・アルバム曲等の作曲をし、ヒット・ソング・メーカーとしての地位を築く。[2]
2001年のテレビドラマ「できちゃった結婚」(フジテレビ系列)のサウンドトラックを担当した際、劇中挿入歌「Your eyes only 〜曖昧なぼくの輪郭〜」でEXILEを抜擢。彼らをデビューさせる切っ掛けを作ったばかりでなく、デビュー曲でいきなりヒットさせた事は高く評価された。[1]
そのスキルは数々の楽曲をミュージックチャートのトップに入れてきたヒットソングメーカーとして広く知られ、2005年‾2010年まで日本テレビのオーディション番組「歌スタ!!」に辛口キャラの審査員としてレギュラー出演した。
サウンドトラックにおいては、ポップスで培われてきた印象的なメロディーラインに、重厚なシンフォニック・テイストと打ち込みによるエレクトロニック・サウンドが掛け合わせた、他者には真似できないメロディアスで壮大かつハイブリッドな次世代サウンドが特徴である。
アテネ生まれ。ギリシャとイタリアの血統を持つ父と日本人の母を持つ。ギリシャのアテネ生まれ、13才から独学でピアノを始め、オリジナル曲を作り同級生遠藤幹雄とバンド活動する傍、先輩や知人のバンドを幾つも掛け持ち音楽に没頭。
高校時代はレコーディング・スタジオでキーボードを弾くアルバイトしながら、本格的に音楽を勉強するため尚美学園大学(旧尚美学園短期大学)の作曲科へ入学。現代音楽を専攻し作/編曲法を学び、大学コンクールで作曲部門3等を受賞。NYで活躍するDJ GOMIと同期生。特に在学中には、音楽学者である田村和紀夫教授のもとで、音楽を歴史的・文化的観点から分析する姿勢を学んだ。この経験は、後年の作曲活動において音楽構造やジャンルの枠を超えた表現にも影響を与えているとされる。
共にセッションしていたベーシストMichael Mcglynnと Brand New Colorを結成。制作していたデモテープが音楽業界に渡り高く評価されたことを切っ掛けにSDオーディション合格を得て1987年CBS・ソニー(現SME)19歳でメジャー契約、プロ活動のために音楽大学を中退。初のオリジナルアルバムのレコーディングには笹路正徳、松本晃彦らを中心とした日本のトップ・クラスのスタジオ・ミュージシャンとセッションを行い、作/編曲家/キーボード・プレイヤーとしての道を切り開く。
1990年から松田聖子や石田ひかり等のヒットシンガーに楽曲を提供。1991年、ヴァージン・ジャパンの第一弾アーティスト有近真澄を楽曲を多数手掛け、ロンドンのAIR STUDIOで初の海外レコーディングを経験。この時期からCM音楽の作曲を仕事も手掛ける一方、財津和夫や柳ジョージ等、数々の作/編曲を担当。1991年にジャマイカのレゲーユニットのスライ&ロビーとN.Yでレコーディング。
その才能は矢野誠や元はっぴいえんどのギタリスト鈴木茂らにもかわれ、ベテラン・ミュージシャンらと共にスタジオ・ワークをこなす。1994年、原田芳雄の長男でギタリストの原田喧太のアルバム制作でL.Aに長期滞在、TOTOのマイク・ポーカロやレニーカストロらとレコーディング。翌年の1995年、筒美京平の弟子で作曲家のOh!Beとプロデュース・ユニッ ト「Face 2 fAKE」を結成。
同年ハリウッド俳優ジョン・ローンの舞台音楽を手掛け、1996年にジャズのサックス・プレイヤー本多俊之のアルバム・プロデュースやコンサート・ツアーでキーボードとして参加。1997年、t-kimura率いるFavorite Blueやm.o.v.eなどの編曲やリミックス、ライブ・ツアーではバンド・リーダーとして参加。TVドラマでは(日本テレビ系列)草彅剛主演フードファイト、 高橋克典主演FACE〜見知らぬ恋人〜などのサウンド・トラックを担当。中西圭三、trf、中村俊介等の編曲やリミックスも手掛けながら、徐々にFace 2 fAKEとしてのプロデューサー活動にシフトし今日に至る。
質の高いスタジオワークで培われたフィーリングと、アカデミックで精密な音楽性の両極を持ち合わせ、Popsに留まらずClassicやジャズに至るまで、あらゆるジャンルに精通。そのスキル幅は広く、クロスオーバされた柔軟で個性的な音楽性を持つ。特に編曲の緻密さはグローバルなセンスを持ち合わせている。生楽器にも精通し、フル・オーケストレーション、スコアリング、コンダクトもこなす。[3]
< 代表作品 >
アーティスト
TVドラマ・アニメ・ゲーム・サウンドトラック
CM音楽
東京生まれ。母親はシャンソン歌手(桐朋学園声楽学科)、叔父は賛美歌の作曲家。幼少の頃から音楽の中で育つ。中学生の頃、バンド活動を始め、いくつものバンドを渡り歩く傍ら作曲を開始。ギター・ベースなど楽器をこなす中、シンセサイザーに興味を持ち、コルグMS20などのアナログシンセサイザーに触れ出す。15歳を皮切りに音楽制作にのめり込み、当時のテクノポップを自身のスタイルに取り入れる。同時期にウルトラボックス、 デペッシュ・モードなどに影響を受ける。
1982年、筒美京平と出会い、自身の将来を決断、作曲家としての道を歩き始める。筒美のスタッフとして、デモテープ制作を手伝う傍ら、田辺エージェンシーに出入りし、積極的に自作曲を売り込む。同時期に音楽業界のシステム・流れなどを学び、後の活動に生かし1985年にニューヨークへ渡航。CM音楽のレコーディング・スタイルを学び1986年帰国。長渕剛・CHAGE and ASKAの音楽プロデューサー・山里剛にデモテープが認められ、中川勝彦の楽曲のデモテープ制作に参加。その時の曲が作家デビューとなる。その後吉田建より沢田研二のアルバム曲のオファー、麻田華子や渡辺プロダクションの所属歌手の楽曲制作を行う(当時20歳)。
日音の村上司と出会い、1989年、TBSテレビ「俺たちの時代」主題歌、「Try Again」を含む黒沢光義の楽曲を手掛け、アルバムの大半を井上日徳と共にプロデュース。荻野目洋子、金子美香、相楽晴子、鈴木トオル等に楽曲提供。その後、自らのマネージメント会社・有限会社CUEを起業。企業CMプロデュース、群馬テレビ開局25周年時代劇ドラマの音楽を担当。日音と共に新人開発チームを創り、加藤紀子などを発掘[要出典]。続いて筒美の作る制作ユニットSillcon Grooveに参加、JA-JAなどに楽曲提供。 この頃ブラックミュージックに興味を持ち、オーストラリアに渡りレゲエ・バンドを組み活動。 滞在中に現地テレビ局のプライムテレビ・NRテレビのCM音楽を手がけ、1994年に帰国。Achilles DamigosとFace 2 fAKEを結成、現在に至る。[6]
< 代表作品 >
アーティスト
TVドラマ・CM・サウンドトラック
その他多数[8]
https://magazine.fany.lol/158831/