HOYA本社社屋 | |
種類 | 株式会社 |
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機関設計 | 指名委員会等設置会社[1] |
市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒160-8347 東京都新宿区西新宿6丁目10番1号 (日土地西新宿ビル 20F) |
設立 |
1944年(昭和19年)8月23日 (株式会社東洋光学硝子製造所) |
業種 | 精密機器 |
法人番号 | 7011101019599 |
事業内容 | エレクトロオプティクス製品、ホトニクス製品、ビジョンケア製品、ヘルスケア製品及びペンタックス製品の製造販売 |
代表者 |
池田英一郎(取締役兼代表執行役最高経営責任者(CEO)) 廣岡亮(取締役兼代表執行役最高財務責任者(CFO)) |
資本金 |
62億6420万1967円 (2019年3月期) |
発行済株式総数 | 4億3501万7020株 |
売上高 |
連結:7235億8200万円 (2023年3月期) |
純利益 |
単体:1779億6800万円 (2023年3月期) |
純資産 |
単体:2942億1600万円 (2023年3月期) |
総資産 |
単体:3640億3800万円 (2023年3月期) |
従業員数 |
連結:36,571名 (2023年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
日本トラスティ・サービス信託銀行株式会社(信託口) 7.03% JPモルガン・チェース・バンク380055 4.94% ステート ストリート バンク&トラストカンパニー 4.28% (2012年3月31日現在) |
主要子会社 | 関連会社参照 |
関係する人物 | 鈴木哲夫(中興の祖) |
外部リンク | https://www.hoya.co.jp/ |
特記事項:連結は国際財務報告基準ベースのため、売上高は売上収益、純利益は当期利益、純資産は親会社の所有者に帰属する持分。 |
HOYA株式会社(ホーヤ、英: HOYA Corporation)は、日本の光学機器・ガラスメーカー。本社を東京都新宿区に置く。
三水会とその後身社長会である水曜会およびみどり会の会員企業であり三和グループに属しているが[2][3]、ペンタックスを合併してからは第一勧銀グループにも属している。日経平均株価、TOPIX Core30およびJPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[4][5][6]。
マスクブランクス・半導体素子製造用フォトマスクなどの半導体部門、HDDプラッタなどのディスク部門、メガネやコンタクトレンズなどのアイケア部門、眼科医療用の眼内レンズ、内視鏡などのメディカル部門、光学レンズなどの光学部門、情報システム・アプリケーションサービスプロバイダ・カスタマーソリューションなどのサービス部門、などの事業部門を持つ。眼鏡部門の市場占有率は日本ではトップクラスであるが、日本国外における占有率は高くはない。半導体製造用のマスクブランクス、HDD用のガラス基板事業における世界市場占有率はいずれも70%を超える。
社名は、創業の地である保谷市(現・西東京市)に由来する。創業時の社屋は現存せず、本社は新宿区中落合を経て西新宿へ移転している。
第二次世界大戦中に創業した軍需向けレンズなどの光学ガラス生産が終戦で行き詰まり、戦後は江戸切子職人他の人材を集め高級硝子食器の生産へ参入する。GHQ向けの受注を機に、海外向けを含むクリスタルガラス食器・シャンデリア生産へ拡大して基礎を確立する。
その後、ドッジラインやオイルショックなどの経済危機を経て、眼鏡レンズ、さらに半導体フォトマスク、コンタクトレンズ、HDDなどの生産へと進出。多角化戦略の結果、各部門でトップシェアを誇るなど、日本を代表する精密機器・ガラス企業となる。
カメラ大手ペンタックスと2007年(平成19年)10月をめどに新会社「HOYAペンタックスホールディングス」を設立し、医療向け事業の拡大やカメラ・レンズの一貫生産体制をはじめとした各事業の統合・効率化を図る方針であった。しかし、鈴木洋のカメラ事業転売を示唆する発言にペンタックスの創業家である松本家が激怒したことを背景に、2007年(平成19年)4月にペンタックス側の経営陣が合併反対に動き、計画は白紙撤回となった。
これを受けて、HOYAは友好的買収による子会社化を発表。当初ペンタックス側はこれを拒否し、単独での経営を目指した中期経営計画を発表したが、阿部修平率いるスパークス投資顧問やフィデリティなどの大株主と資本市場に評価されず、結局2007年5月22日に株式公開買付け(TOB)による買収の受諾を通知した。これによりHOYAは同年7月3日からTOBを開始した。8月6日までに90.59パーセントの株式を取得し、8月14日にペンタックスを連結子会社としたが、経営陣の鈴木洋らは身内であるはずのHOYA創業家の一員である山中裕からも、買収価格の不適切さや手続きについて『日経ビジネス』2007年5月28日号[7]上で強い批判を受けた。
2007年10月29日、HOYA・ペンタックス両社は当初の計画通り合併による事業の統合・効率化がベストであると判断し、2008年(平成20年)3月31日を効力発生日とする合併契約を締結した。2008年(平成20年)3月31日、HOYAを存続会社として吸収合併されペンタックスは解散した。合併後の社名は「HOYA株式会社」だが、「PENTAX」ブランドは維持される。また一部でHOYAと旧ペンタックスとで重複する製造部門・部署があるが、経営統合後も事業統合は行われなかった。合併前のHOYAは三和グループに属していたが[2][3]、第一勧銀グループに属していたペンタックス[2]との合併によりHOYAは三和色と第一勧銀色を併せ持つ企業となった。
ペンタックスより引き継いだ測量機器事業(現・TIアサヒ株式会社)は2009年11月30日付で台湾儀器行に、デジタルカメラ・交換レンズなどのイメージングシステム事業(現・リコーイメージング株式会社)は2011年10月1日付けでリコーに譲渡された。
1970年前後にCMソング「HOYAのメガネ」(作詞:不明、作曲:小森昭宏、歌:青木マサシ、コーラス:サニートーンズ)が製作され、レコード化された(楽曲版権:保谷硝子眼鏡営業部)。同レコードには30秒CM版・15秒CM版・インストゥルメンタルの3曲が収録されている。