『Hit Factory』 | ||||
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小室哲哉 の カバーアルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
サウス・ビーチ・スタジオ 一口坂スタジオ クラAイテリア・スタジオ ヴィンセント・スタジオ 東急ファンスタジオ ミュージックイン・スタジオ バーニッシュストーン・スタジオ フリー・スタジオ サウンドインスタジオ | |||
ジャンル |
エレクトロニック ジャズ ロック ポップス イージーリスニング フュージョン | |||
時間 | ||||
レーベル | Epic/Sony Records | |||
プロデュース | T.C.D Hits | |||
チャート最高順位 | ||||
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小室哲哉 アルバム 年表 | ||||
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EANコード | ||||
EAN 4988010133023(1992年・CD) EAN 4582290392400(2013年・CD) | ||||
『Hit Factory』収録のシングル | ||||
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『Hit Factory』(ヒット・ファクトリー)は、日本のミュージシャン小室哲哉が1992年10月21日にリリースしたカバー・アルバム。
キャッチコピーは『この世の隅で、紡がれる』。 『Digitalian is eating breakfast』(1989年)以来となるリードボーカルを担当するソロ・アルバム。小室はTM NETWORKの活動以外にも多くの人気アーティストに楽曲を提供しており、今作はその中から選曲されたセルフカバーアルバムである。
いくつかの曲で歌詞を一部変更、もしくは新たに書き下ろしている。小室は本作と、本作の先行シングルの「Magic」と「二十歳の約束」の音楽制作のためだけの音楽ユニットとして、小室、久保こーじ、日向大介の3人からなる「T.C.D Hits」を結成し、プロデュース・アレンジ・演奏を同時進行で手がけた[1]。全面的なボーカルディレクションは日向に委ねられている。アレンジ・サウンドプロデュース・スタジオミュージシャンの選定は、小室を中心に行いつつ久保のアシストが入った上で行った[2]。
「Magic」、「Futari」、「South Beach Walk」は今作のために書き下ろされ、「Magic」は先行シングルカットされた。
選曲の基準は東京でベーシックトラックを作った後、マイアミで手を加え、ニューヨークで最終的なミキシングを行った。マイアミを選んだ理由は「スタジオを含めた全ての環境を大きく変えて、普段だったらやらない作業にも関わりたい」という思いと、テレビで放送された1920年代に建てられたアール・デコをアメリカ流にアレンジした建物に惹かれたため、理屈ではなく「自分の思い描いたものに近づくことが出来る」という衝動で選んだ[3][4][5]。
マイアミへの滞在は休暇も兼ねていたため、1日の半分はレコーディング以外は何もしないで海岸やプールに入ったり、ドライブをしていた[6]。
「メロディだけで存在感を主張している歌を聞かせよう」という意向で、選曲は小室自身の仮歌が録音されているデモテープから選んだ。また原曲のイメージを守り、原曲が好きなファンを否定しないために、女性ヴォーカルと自分の声を何回も録音して、小室特有の歌のクセを消していった。小室曰く「歌をできるだけメロディに近づけるために楽器化していった」とのこと(「Kimi ni Aete」のみエフェクトは付けていない)[7]。更に念押しとして、ボイストレーニングを直に受けた。小室が人から音楽を教わるのは幼年時代にヴァイオリンの指導を受けて以来2度目だった[4]。目標は「格好良い」「渋い」という意味で「クールだね」と海外のスタッフに褒められることを目指し、「素晴らしい」「奇妙」を意味する「ファンタスティック」と言われない様に徹した[6]。
本作において、プロデビューしてから初めて小室は自身とは別の鍵盤奏者を起用した[8]。
岡田有希子に提供した「Sweet Planet」「水色プリンセス ―水の精―」[9]、宮沢りえに提供した「ドリームラッシュ」を手掛ける予定もあり、実際にアレンジもベースとなる流れが出来上がっていたが、歌詞をどの様に改変するかに迷い、見送りとなった[10]。
アルバムのテーマとして「エルトン・ジョン、ビリー・ジョエル等小室が影響を受けたアーティストの影が見えない、作曲家としての自分のメロディの難しさ・オリジナリティと時代の流れの再確認」「映像に付ける音楽をやっていきたいというプロモーション」「ダンス・ミュージックを作り続けるという意思表示」という3つのコンセプトを提示するために、TMがデビューしてから本作製作開始までに制作した楽曲を改めて聴き直し、商品盤ではなくデモテープの時の状態を基本にした[7][3]。
アルバムの全体的な構成として、当初は井上陽水のセルフカバー・アルバム「9.5カラット」を意識していたが、「あの人はあれだけ自分で歌える人だから、他の人に歌ってもらわなくても、自分の作品が世に出ないなんてことはない。僕はその反対で、他の人が歌わない限り世に出なかった。何より自分で歌い始めてから3年しか経っていない」と振り返り、曲を作る上での小室が編み出したアイディア・手法を見直し、他人にアレンジを委ねた楽曲を自分でアレンジし直し、それらを小室自身に還元することを目標にした[6]。
音色のコンセプトは「各パートの音色のピッチやリズムに気を使い、センスのいいエンジニアにミキシングしてもらう」という当然のことをいつもより丁寧にやりながら積み重ねて行き、「単純に気持ち良い音」を目指した。これは「『V2』や『マドモアゼル・モーツァルト』と重量感のある音色を作ってきたので、その反動でリラックスできる楽曲を作りたかった」という個人的事情もある[11][5]。
1992年10月21日にEPIC/SONY RECORDSよりリリースされた。
2013年7月17日にソニー・ミュージックダイレクトよりBlu-spec CD2仕様で再発された。
小室の「とにかくメロディに耳を傾けて欲しい」という思いから、ブックレストの最終頁の「コンパクト・ディスクの取り扱い上の注意」の注意書きを除き、タイトル及びジャケットの歌詞は全てローマ字表記となっている[7]。ただし、小室が出したノーメイク、ノースタイリングの写真集『HIT FACTORY』の中ではタイトル以外は普通に日本語表記で歌詞が書かれている。
本作は1992年11月2日付けのオリコンチャートにて最高位2位となり、売り上げ枚数は14.9万枚となった[12]。
専門評論家によるレビュー | |
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レビュー・スコア | |
出典 | 評価 |
CDジャーナル | 肯定的[13] |
全作曲: 小室哲哉、全編曲: T.C.D Hits。 | |||
# | タイトル | 作詞 | 時間 |
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1. | 「Omoide o Okizarinishite(思い出を置き去りにして)」 | 秋元康 | |
2. | 「Magic」 | 坂元裕二 | |
3. | 「Good Morning-Call」 | 小泉今日子 | |
4. | 「50/50」 | 田口俊 | |
5. | 「TOO SHY SHY BOY!」 | 小室哲哉 | |
6. | 「Resistance」 | 小室みつ子 | |
7. | 「Futari(ふたり)」 | 坂元裕二 | |
8. | 「South Beach Walk」 | ||
9. | 「Kimono Beat」 | 松本隆 | |
10. | 「Kimi ni Aete(きみに会えて)」 | 神沢礼江 | |
合計時間: |
No. | 日付 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 最高順位 | 備考 |
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1 | 1992年10月21日 | EPIC/SONY RECORDS | CD | ESCB-1330 | 2位 | |
2 | 2013年7月17日 | ソニー・ミュージックダイレクト/GT music | ブルースペックCD2 | MHCL-30104 | 231位[14] | デジタルリマスター |