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| コンチネンタル・ホッケー・リーグ | |
|---|---|
| 前身 | ロシア・スーパーリーグ |
| 競技 | アイスホッケー |
| 創立 | 2008 |
| 会長 | Dmitry Chernyshenko |
| モットー | Хоккей – наша игра! Khokkei - nasha igra! (Hockey is our game!)[1] |
| 参加チーム | 22 |
| 国 | |
| 前回優勝 | CSKAモスクワ (2度目) |
| 最多優勝 | アク・バルス・カザン (3) |
| テレビ局 | KHL-TV (ロシア(NTVプラスのパッケージに含まれる)、アメリカ合衆国、カナダ(ViaNetTVの一部),[2] International through KHL's website) ロシア2 (Russia)[3] |
| 関連大会 | SHL (VHL) JHL (ロシア) (MHL) |
| 公式サイト | www.khl.ru |
KHL(日: コンチネンタル・ホッケー・リーグ、英: Kontinental Hockey League、露: Континентальная Хоккейная Лига)は、ロシア・ベラルーシ・カザフスタン・中国で構成されているプロアイスホッケーリーグである。
北米のナショナルホッケーリーグ(NHL)に次いで世界で2番目にレベルの高いアイスホッケーリーグと考えられている[4][5]。

1996年にインターナショナル・ホッケーリーグ(IHL)が解体した後、CISの強豪クラブは自国のリーグへ戻っていった。2005年10月、ロシアスポーツ省の大臣だったヴャチェスラフ・フェティソフはロシア、ベラルーシ、カザフスタン、ラトビア、ウクライナ、更に将来の展望として西欧および極東諸国も含めたクラブ統一リーグ構想を提案し、ユーラシア・ホッケーリーグと呼ばれた[6]。 フェティソフ大臣は日本、中国、韓国のチーム加入も視野に入れていた[7]。フェティソフ大臣の構想では、それは一国のアイスホッケー連盟、特にロシアアイスホッケー連盟からもPHL(プロフェッショナルホッケーリーグ、当時のロシアスーパーリーグを主催していた組織)からも独立し、ナショナル・ホッケーリーグ(NHL)のような商業モデルを志向したリーグだった。9つのクラブが加入の意思について契約に署名した。新しいリーグは2006-2007年の最初のシーズンに12チームで開幕し、将来は20チーム以上に拡大する予定だった。[8] しかしそのシーズンに計画は開始できなかった。翌シーズンの2007-2008年はこの構想は論争の的となったが、やはりリーグは開幕しなかった。ついに2008年2月、ロシアアイスホッケー連盟の反対にもかかわらずリーグの開幕が決定され、当初はオープン・ロシア・ホッケーリーグ(ORHL)と呼ばれたが、結果としてコンチネンタル・ホッケー・リーグ(KHL)という名称に決定した。KHLの会長になったのはアレクサンドル・メドヴェージェフで、取締役会の議長はヴャチェスラフ・フェティソフになった。この計画ではユーラシア・ホッケーリグのために提案された構想ほぼすべてが実現した。それはCIS、将来の西欧のクラブの参加、ジュニア選手のドラフト、ディビジョンとコンファレンスの分類、年俸の上限、記念カップ、インフラに関するクラブ側への厳しい規格、どちらかが4勝するまで続く長いプレーオフである。ユーラシア・ホッケーリーグ構想との唯一の大きな相違は、ユーラシア・ホッケーリーグでは当初ロシアスーパーリーグから複数のクラブを引き抜く計画だったのが、スーパーリーグに加入していた全クラブがKHLに加入したことであった。
KHLは2008年にロシアスーパーリーグを基礎として発足した。当時24チームで発足し、そのうち21チームがロシアのクラブであり、ベラルーシ、カザフスタン、ラトビアからは1チームずつがKHLに加入した。2008年9月2日、ディナモ・リガのアレクサンドル・ニジヴィーがアムール・ハバロフスクとの試合でKHLが発足して初のゴールを決めた。 リーグ優勝チームにはガガーリン・カップが授与されるとともに、クラブの国籍に関係なくロシア国内チャンピオンとして認定される。2009年4月12日、アクバルス・カザンがシーズン2008-2009においてKHL史上初のガガーリン・カップ優勝を成し遂げた。
2014-15シーズンより、2014年ソチオリンピックが開催されたソチに新チームが発足、新たにフィンランド国内リーグから1チーム移籍し、ロシア下部リーグより1チームが復帰するも、財政難から2チームが不参加、ウクライナ情勢により1チームが参加を見送り、合計チームは28のままで開幕した。
2009-2010シーズンの始めからリーグには別のクラブも加入するようになった。 大会から脱退したヒミク・ヴォスクレセンスク(モスクワ州)に代わってエカテリンブルクのアフトモビリストが加入。 2010年,2008-2009シーズンと2009-2010シーズンのマイナーリーグ覇者ユグラがKHLに加入した。一方で財政的な問題からラーダはKHLを脱退することを余儀なくされた。また、MVD(バラシハ、モスクワ州)はHCディナモ・モスクワと合併後に解散した。
2016年6月25日、KHLの取締役会は北京のアイスホッケークラブ、レッドスター・クンルン(Red Star Kunlun)のKHL加入申請を受理した[10]。同日、ロシアのプーチン大統領の訪中行事の一環として、プーチン大統領と習近平国家主席立ち合いの下、北京においてKHLのティムチェンコCEOとレッドスター・クンルンのCEOであるNgok Jen Jüが加入に関する契約書に署名をした[11]。レッドスター・クンルンはKHL初の中国チームとして、シーズン2016/17からKHLの定期試合に参戦する。
2014-15シーズンにはウクライナのドネツィクを本拠地とするHCドンバスがドンバス戦争を期にリーグから撤退。
2021-22シーズンのプレーオフに入る直前である2月25日にフィンランドから参戦していたHCヨケリトは、ロシアによるウクライナ侵攻に抗議するためプレーオフラウンド進出が決まっていたが、そこからの撤退を決めた[12]。
2月27日にはラトビアから参戦していたディナモ・リガがリーグ撤退を発表[13]。
さらに、3月8日にはNHLとの取引が停止された[14]。
リーグは東西の2つのコンファレンスと、4つのディヴィジョンに分けられる。東部コンファレンスはハルラーモフ・ディヴィジョンとチェルニショフ・ディヴィジョン、西部コンファレンスはタラソフ・ディヴィジョンとボブロフ・ディヴィジョンに分かれている。 4つのディヴィジョンにはソ連の偉大なアイスホッケー選手やコーチの名前が付けられた。
シーズン2014/15にKHLは28クラブで開幕した。各クラブはすべての対戦相手と2回ずつ(ホームとアウェーで1試合ずつ)の試合(合計54試合)を行い、さらに6試合を同じディヴィジョンのクラブと行う。したがって定期試合で各チームがこなす試合は合計60試合になる。
順位の決定
1.ディヴィジョン、コンファレンス、リーグの総合順位は定期試合の勝ち点の合計で決まる。 2.ディヴィジョン・コンファレンス・リーグ表で複数のチームが勝ち点で並んだ場合、以下のチームを上位とする。
1)~4)がすべて等しい場合はくじ引きによって順位を決定する。
3.コンファレンスの順位表では、2つのディヴィジョンでそれぞれ首位を占めるチームが勝ち点に関わらずコンファレンスの首位と2位になる。
プレーオフに参加できるチーム
1.東西のコンファレンスからそれぞれ上位8チームがプレーオフに進出する。 2.同一のコンファレンスで各ディヴィジョン1位のチームがコンファレンス1位と2位となる。 3.各コンファレンスで3位から8位のチームはディヴィジョンに関係なく、コンファレンス全体の順位に従って決定する。
プレーオフの仕組み
1.各コンファレンスにおいて首位(1位)のチームは最下位(8位)のチームと、2位のチームは下から2番目(7位)のチームと対戦する。3位は6位、4位は5位と対戦する。 2.各コンファレンスでクウォーターファイナル(8チーム)、セミファイナル(4チーム)、ファイナル(2チーム)を行う。 3.プレーオフではどちらかのチームが4勝するまで行う。1つのラウンドで最大7試合になる。 4.東西の各コンファレンスのファイナルの勝者が対戦し、先に4勝した方がガガーリン・カップを授与される。 5.プレーオフにおいてはゲームウィニング・ショットは行わない。60分で勝負がつかない場合は20分間のオーバータイムを行う。以降、どちらかのチームが得点するまで20分ずつオーバータイムを行う。
| ディヴィジョン | クラブ | 拠点都市 | 本拠地 (収容人数) | 創設 | 加入 | 監督 | ジェネラルマネージャー | ガガーリン・カップ最終優勝年度 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 西部コンファレンス | ||||||||
| ボブロフ | HCディナモ・ミンスク | ミンスク・アリーナ (15 086) | 1976 | 2008 | パーヴェル・ブルバ | — | ||
| ヴィチャシ・ポドリスク | アイスパレス・ヴィチャシ (5 500) | 1997 | 2008 | イーゴリ・ヴァリツキー | — | |||
| HCディナモ・モスクワ | VTBアイスパレス (12 000) | 1946 | 2008 | アンドレイ・サフロノフ | 2013 | |||
| SKAサンクトペテルブルク | アイスパレス (12 500) | 1946 | 2008 | アンドレイ・トチツキー | 2015 | |||
| HCスパルタク・モスクワ | ルジニキ (8 512) | 1946 | 2008 | アレクセイ・ジャムノフ | — | |||
| タラソフ | ロコモティフ・ヤロスラヴリ | アリーナ 2000 (9 070) | 1955 | 2008 | ユーリー・ルキン | — | ||
| セヴェルスタル・チェレボヴェツ | アイスパレス(6 064) | 1956 | 2008 | アレクセイ・コズネフ | — | |||
| HCソチ | アイスパレス・ボリショイ (12 000) | 2014 | ヴャツェスラフ・ブツァエフ | — | ||||
| トルペド・ニジニ・ノブゴロド | スポーツパレス・ナゴールヌイ (5 500) | 1946 | 2008 | ビクトル・ハリトノフ | — | |||
| HC CSKAモスクワ | CSKAアイスパレス (5 600) |
1946 | 2008 | セルゲイ・フョードロフ | — | |||
| 東部コンファレンス | ||||||||
| ハルラーモフ | アフトモビリスト・エカテリンブルク | KRKウラレツ (5 570) | 2006 | 2009 | オレーグ・グロス | — | ||
| アク・バルス・カザン | タトネフチ・アリーナ(9 300) | 1956 | 2008 | ジネトゥラ・ビリャレディノフ | 2010 | |||
| レッドスター・クンルン | 五棵松体育館 (18,000) [16] |
2016 | 2016 | — | ||||
| ネフチェヒミク・ニジネカムスク | SKKネフチェヒミク (6000) | 1968 | 2008 | ビクトル・レヴィツキー | — | |||
| トラクトル・チェリャビンスク | アイスパレス・トラクトル(7 500) | 1947 | 2008 | エフゲニー・グバレフ | — | |||
| ユグラ・ハンティ・マンシークス | アリーナ・ユグラ (5 500) | 2006 | 2010 | エフゲニー・ハツェイ | — | |||
| チェルニシェフ | アヴァンギャルド・オムスク | アリーナ・オムスク (10 318) | 1950 | 2008 | — | |||
| アドミラル・ウラジオストク | フェティソフ・アリーナ(5 500) | 2013 | イリダル・ムホメトフ | — | ||||
| アムール・ハバロフスク | プラチナ・アリーナ (7 100) | 1957 | 2008 | アレクサンドル・モギリヌイ | — | |||
| バリス・アスタナ | バリス・アリーナ (12 000) | 1999 | 2008 | ワジム・グセイノフ | — | |||
| サラヴァト・ユラーエフ・ウファ | ウファ・アリーナ (8 070) | 1961 | 2008 | レオニード・ヴァイスフェルド | 2011 | |||
| シビル・ノヴォシビルスク | アイスパレス・シビル(7 384) | 1962 | 2008 | キリル・ファストフスキー | — | |||
2008年にKHLが発足して以来、のべ35チームが加入してきた。そのうち22チームが少なくとも1回はプレーオフに進出している。
以下に掲げる表はシーズンごとのレギュラーシーズンにおける各クラブの順位を数字で、プレーオフの成績を色で示している。
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* ディナモ・モスクワの出場歴は2010年のHC MVDとの合併前も含む。
特定のクラブ同士の対戦はダービーと呼ばれ、人気が高くチケットも高騰する。以下のようなダービーが知られている。
| 年度 | 日時 | 会場 | チーム1主将 | 結果 | チーム2主将 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2009年 | 1月10日 | 世界選抜 |
7–6 | ロシア選抜 | |
| 2010年 | 1月30日 | 世界選抜 |
11–8 | ロシア選抜 | |
| 2011年 | 2月5日[19] | 東軍 |
18–16 | 西軍 | |
| 2012年 | 1月21日[20] | 東軍 |
15–11 | 西軍 | |
| 2013年 | 1月13日[21][22] | 東軍 |
18–11 | 西軍 | |
| 2014年 | 1月11日[23] | 西軍 |
18-16 | 東軍 | |
| 2015年 | 1月25日[24] | 東軍 | 18–16 | 西軍 | |
| 2016年 | 1月23日 | 西軍 | 28-23 | 東軍 | |
| 2017年 | 1月22日 | チェルニショフ・ディヴィジョン | 3-2 | タラソフ・ディヴィジョン |