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| Kisty | |
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| 出身地 |
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| 活動期間 | 2006年3月21日 - 2006年7月2日 |
| メンバー |
K - こひなたえり i - 今井麻夏 s - 佐藤聡美 t - 棚橋麻衣 y - 吉冨加奈恵 |
Kisty(キスティー)は、『智一・美樹のラジオビッグバン』(文化放送)の7代目アシスタント(第5期BGP)からなるユニット。ユニット名は、リスナーから案を募集し、メンバーの頭文字から考えられている。
アシスタントとしては2005年11月から番組に参加、2006年3月21日にKistyとしてデビュー。デビューシングル「恋人は……(テンテンテン)」が、3か月以内に1500枚以上売れなければ、即解散。さらに、番組を強制卒業の条件がつけられ、ファンの中には存続を願って複数枚購入する者もいたが7月2日、1500枚に満たなかったため、ラジオビッグバン放送内で活動休止が宣言された。
6月になり、売り上げが1500枚に達するのが困難な状況と判断、番組内での審議の結果、Kistyへの意見・感想・想いを記した救済メール1通につき、CD1枚分の売り上げとして換算、1枚ごとに内容が違えば1人何通でも出すことが出来るが、極端に文章の短いものは換算しないなど条件をつけ、最終的にはCD1356枚、メール466通で合計1822枚となりその結果、番組卒業は例年通り9月まで伸びることになった。しかしCD自体の販売枚数が1500枚に達しなかったため、Kistyとしての音楽活動は休止となった。活動は休止になったが、休止前に依頼のあった営業に関しては、その営業に限ってKistyとしての活動を臨時に行うことになり、6月以降もいくつかのイベントに登場した。
ここでは、Kistyとしての活動についてのみ記す。番組自体の動きは智一・美樹のラジオビッグバンを参照のこと。
ここでいう社屋とは、新宿区若葉にあった文化放送の旧社屋のことを指す(現社屋は港区)。
2006年1月1日、正月の生放送内にてユニット活動を行うと告知される。 2006年2月5日(ラジオ放送分)にて、公募によりユニット名がKistyに決まる。ユニット名の案には、ラジオビッグバンを象徴するような下ネタを含むセクシャルな内容のものも含まれていた。
2006年3月21日、文化放送社屋で行われた。司会は鷲崎健。
内容は正面玄関でのCDの手売りと会議室でのライブで、CD購入者には5人のブロマイドがCD1枚につき1枚プレゼントされた。販売後、社屋内の会議室に移動し、ライブを行った。
2006年3月26日(放送は4月2日)、都内でCDの販売促進活動を行うためにバス移動を行った。周った場所は下記のとおり。
ゲストはポアロの2人。
リスナーとの交流を目的として、不定期で西新宿にある東放学園のサテライトスタジオで番組収録を行う。番組中、Kistyの曲を流す場面になると、5人が外に向かってダンスを披露する。そのためサテライトスタジオ収録時は、イベント用の白い衣装を着る。
収録後は本人たちによるCDの手売りが行われる。
文化放送が配信するインターネットラジオ「BBQR」内でKistyの5人による番組、KistyのKisty Timeのパーソナリティを担当。毎週水曜日配信で[2]、(キス)ティ タイムとtea timeをかけて、「お茶会」をイメージとしたトーク中心の進行。
2006年6月11日、野球中継の延長でラジオビッグバンが30分版になった際、その30分枠をKisty Time出張版として地上波で放送。内容はゲストに関・長沢を呼び、ラジオビッグバンに近いものとなった。なお、この収録は6月5日にサテライトスタジオで収録されたもので、この日収録された60分版のラジオビッグバンは6月25日に放送された。
2006年7月2日のラジオビッグバン上において、Kisty活動休止のためKisty Timeの打ち切りを宣言。7月5日の配信が最終回となった[3][4]。
作詞作曲を担当したポアロの出るイベントやラジオ番組へゲスト出演。
アイドルユニットという性格上、アニメ・ゲーム関連のイベント以外にもさまざまなイベントにも出演した。
文化放送内で見つけたヤモリにグループ名のKisty(通称:ヤモキス)という名前をつけ、飼育していたが、餌として飼育箱に入れたゴミムシに食べられ、6月21日に死んでいる。