SCARS (スカーズ)は、2003年頃に結成された7人のMCと2人のトラックメイカーからなる日本のヒップホップ ユニット 。グループ名の由来は、リーダーのA-THUGが映画『スカーフェイス 』に影響され命名した。
日本で初めてハスリングラップを始めたグループといわれている。 [要出典 ]
SEEDA (シーダ)(MC)
BES (ベス)(MC)
A-THUG(エイサグ)(MC、リーダー)
STICKY(スティッキー)(MC)
bay4k (ベイフォーケー)(MC)
MANNY(マニー)(MC)
林鷹(ハヤシタカ)(MC)
SAC(サック)(トラックメイカー)
I-DeA (アイデア) (トラックメイカー)
DJ ISSO (ディージェイイッソ) (DJ)
SD JUNKSTAの元メンバー。『THE ALBUM』のクレジットにSCARSのメンバーとしても記載がある。
HAZE (ヘイズ)
結成当時の初期メンバー。音楽活動はしていなかった模様。
リーダーであるA-THUG の中学時代の友人(MANNY、HAZE、SAC)が集まり、神奈川県 川崎市 川崎区 にて結成。
後にSEEDA 、BES 、I-DeA 、そして、A-THUGの幼馴染であるSTICKY らがメンバーに加わる。
10代の頃よりスケボーやダンスをしていたA-THUGは、ストリートカルチャーや周りの先輩に影響され、自身もニューヨーク へ渡米する。そこで出会ったプエルトリコ人 の友人の家で、『スカーフェイス 』(1983年)や、『カリートの道 』(1993年)などを見せられ、現地でサバイブするハスラーと交流し、自身も帰国後ハスラーとなりストリートライフに身を投じて行く。この当時、周りの友人達と車の中で「オレら、スカーズだべ」という話しになり、その場のノリのような会話でSCARSが結成された。但し、この頃は本格的な音楽活動は行っておらず、ストリートで活動するチームのような物だった。そのチームが現在のSCARSの原型となっている[ 1] 。
2003年 、この当時既に東京のシーンを中心に活躍していた、SEEDA がMANNYを介してSCARSに加入。
2004年 8月発表のI-DeA の『セルフ・エクスプレッション』に収録された『Whoa (feat.SEEDA )のミュージックビデオでは、当時収監中だったA-THUGへ向けて、メンバーが『FREE TONY HYDRO』と印刷されたTシャツを着て出演している。
2004年 -2006年 頃、池袋bed を中心にSWANKY SWIPEで活動していたBES 、トラックメイカーのI-DeA 、A-THUGの幼馴染だったSTICKY と、中学の2学年上の先輩だったbay4k もメンバーに加わり本格的な音楽活動をスタートする。 SEEDA&DJ ISSOのMIX CDシリーズ『CONCRETE GREEN』もこの時期にリリースが始まった。盛んなライブ活動を展開し、ストリートライフをリアルに綴った内容で話題になり実話ナックルズ に特集が組まれる。
2006年 9月2日 、SCARSの1stアルバム『THE ALBUM』がP-VINE /FLASH SOUNDSより発売。トータルプロデュースはI-DeA 、A&Rには当時P-VINEに在籍し、MSC (音楽グループ) の1stアルバム『Matador』 (2003年2月25日/P-VINE)なども手掛けていた佐藤将氏が参加した。この年、音楽雑誌「blast 」(シンコー・ミュージック・エンタテインメント)の『Blast Award 2006』で2位という評価を得る[ 2] 。
1stアルバム『THE ALBUM』を出してからの2年後、2008年9月にSEEDA がブログで2ndアルバムの製作を発表。A-THUGが再び刑務所に服役し、裁判費用を稼ぐのも製作の理由の一つであった。
2008年 12月31日 、2ndアルバム『NEXT EPISODE』をP-VINE /SCARS ENTERTAINMENTより発売。トータルプロデュースは前作に引き続きI-DeA が担当。タイトルは当初「RE-UNION」のはずであったが、BES の不参加、A-THUGは刑務所に入り身動きが取れない、そして今作収録の「曝けだす」で明らかになったSTICKYとbay4k の不和等の理由でとても再結成とは言えないので「NEXT EPISODE」となった[ 3] 。
2009年 8月、未発表音源や新曲が収録されたMIX CD『SCARS PRESENTS THE MIX』が発売される。
2009年 12月2日 、STICKYが1stソロアルバム『Where's My Money』をP-VINE /SCARS ENTERTAINMENTより発売。トータルプロデュースはI-DeA が担当。ディスクユニオンの初回盤のみ全曲のインストを収録したCD-Rが付属される。
2010年 5月28日、STICKYが、大麻取締法違反 の疑いで神奈川県警 川崎署に逮捕される。
2010年12月15日に『SCARS EP』を発売するが、フルメンバーの参加には至らなかった。
2011年 、I-DeA がグループを脱退する(脱退後もグループの活動はサポートし続けている)[ 4] 。
2011年 11月23日 、A-THUGが1stソロアルバム『BRIGHT SON!!』を発売。DJ MUNARIプロデュースの『STREET N.Y』を収録し、客演にはESSENCIALからSNIPE、THUG FAMILYからTOPらが参加した。
2012年 4月13日 、川崎クラブチッタ にて<K'$ UP SPRING JAM 2012 ~SAIGON JAPAN TOUR & SCARS IS BACK?!~>が開催。 Saigon の前座として久々にフルメンバーが揃って復活ライブを披露した。また、名曲『STARSCAR』を収録したシングルが会場限定で販売され、前売りチケット購入者全員にSCARSの未公開PVや新曲などを収録したDVDがプレゼントされた。
2012年 6月13日発売の『DJ MUNARI x AraabMuzik /Hell"O"Rama / feat.SCARS』より林鷹が正式なメンバーとしてクレジットされている。
2016年 、音楽プロデューサーのYuto.comによる『STARSCAR』のRemixがYoutubeに公開される。2023年8月現在の再生回数は1196万回を記録している。
2018年 12月15日 、東京発祥のストリートブランド「BlackEyePatch 」がSCARSを題材とした写真展を開催した。なお撮り下ろしたのは現在ニューヨーク在住のフォトグラファー小浪次郎氏
2019年 6月19日 、廃盤となり長らく入手困難だったファースト・アルバム『THE ALBUM』がリイシュー。続いて7月17日にセカンド・アルバム『NEXT EPISODE』もリイシューされた。
2021年 1月13日 、STICKYが自死により逝去。(脳梗塞などの別の死因については誤情報である) [要出典 ]
2021年春頃、A-THUGがニューヨーク へ渡米。
2022年 11月16日、SCARSと同じく"川崎サウスサイド"を地元とするラッパー、KWSK AGGYがDJ SPACE KIDとSCARSの『Come Back』をサンプリングした楽曲『G.O.A.T.』を発表。REMIXバージョンにSCARSからA-THUG、bay4k、BESが参加した。
『THE ALBUM』(FLASH SOUNDS INC/P-Vine Records、2006年9月2日)
『NEXT EPISODE』(SCARS ENTERTAINMENT、2008年12月31日)
『SCARS EP』(LEGENDARY INC、2010年12月15日)
『SCARS PRESENTS THE MIX』(SCARS ENTERTAINMENT、2009年8月19日)
『RED LINE VOL.1』(TNRF ENTERTAIMENT、2008年6月6日)
『SPRING JAM 2012』(SCARS ENTERTAINMENT、2012年4月13日)
「Dogg Life feat. TWIGY ,SCARS」V.A 『JAPANESE RAP STA :ON BOOT STREET(2006年10月4日)
「Hell"O"Rama feat. SCARS」DJ MUNARI『HIKIGANE』(2012年6月13日)