種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
アメリカ合衆国 コネチカット州スタンフォード |
設立 | 1952年2月21日 |
業種 | サービス業 |
事業内容 |
プロレス興行 関連企画の運営 関連商品の販売 |
代表者 | 代表取締役会長 ビンス・マクマホン |
売上高 | US$1.095 billion(2021年)[1] |
営業利益 | US$259 million(2021年)[1] |
純利益 | US$180.4 million(2021年)[1] |
純資産 | US$381.3 million(2021年)[1] |
総資産 | US$1.204 billion(2021年)[1] |
従業員数 | 870名(2021年)[2] |
主要株主 | ビンス・マクマホン[3] |
関係する人物 |
ジェス・マクマホン(創業者) トゥーツ・モント(創業者) ビンス・マクマホン・シニア ビンス・マクマホン ジェームズ・ダッドリー フレッド・ブラッシー ゴリラ・モンスーン ステファニー・マクマホン |
外部リンク | WWE公式サイト(英語) |
WWE(World Wrestling Entertainment、ワールド・レスリング・エンターテインメント)は、アメリカ合衆国のプロレス団体及び興行会社。
1979年3月29日以前はWWWF(World Wide Wrestling Federation、ワールド・ワイド・レスリング・フェデレーション)[4]、2002年5月5日以前はWWF(World Wrestling Federation、ワールド・レスリング・フェデレーション)という団体名であったが、まったく同じ略称のWorld Wide Fund For Natureに名称の改変を求める訴訟を起こされて敗訴したことにより、団体名をWWEに改称(近年販売しているDVDにおいては過去映像の中で「WWF」の語が発せられた場合は全て「WWE」と訳出されている。ロゴマークの場合は、ぼかしなどで修正していた)[5]。2012年、World Wide Fund For Natureとの交渉により、映像と音声の修正無しでの過去映像の使用が可能になった。
プロレス団体としてのスタイルは、完全にドラマ仕立てのショープロレスで、試合における技の美しさや流れよりも、ストーリーの流れの方が注目されることが多い。しかし、試合そのものはプロレスの基本に忠実な正統な展開を好み、あまり大技を使わずに試合を構成できる実力派の選手も多い。一方では凶器有りのデスマッチを得意とする者もおり、単にストーリーだけの団体ではない。
WWEが株式上場する以前は、「シナリオなど存在しない」という建前であったが、株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ(アングル)の存在を公式に認めた。また、業種をスポーツ関連のものとして登記すると税法上不利になることから、サービス業として登記していた。
WWEにおいて特徴的なのは、時々背広組(特にマクマホン一家)がシナリオに絡むことであり、彼等が登場することで、スーパースター達のみの興行より盛り上がることである。ビンスは選手ではないが鍛え上げた身体で60歳を超えてなおスーパースター達と抗争を繰り返し、息子のシェインは10m以上の高さからのダイビングを幾度か敢行している。また、娘のステファニーに至っては自身の豊胸手術までもが番組のネタとされてしまったことがある。妻のリンダもCEOの地位にありながら、設定上夫の浮気に傷つき精神障害に陥ったふりをしたり、ケインからツームストーン・パイルドライバーを受けたりしている。
WWEで用いられる名称もまた特徴的で、プロレスリングという言葉は一切使われず、「スポーツエンターテイメント」という用語が使われる(シナリオの流れは「ソープオペラ(昼ドラマ)」のような、と表現されることが多い)。同様にレスラー達は「スーパースター」と呼ばれ、プロレスラーという単語は使われない。かつては男子レスラーのみを「スーパースター」と呼び、女子レスラーに関しては「ディーヴァ」(マネージャーからレスリングまで幅広い活動を行う)と呼ばれていたが、2016年のWWEディーヴァズ王座が廃止された頃から使用されておらず、2017年以降は選手の男女を問わず「スーパースター」という呼称に統一されている。また、レスリングビジネスに関しても「この業界」(This business)と表現し、レスリングとは別のものであることをアピールしている。ファン、観客、視聴者などを示すものとして「WWEユニバース」という名称が用いられている他、ハルカマニア(ハルク・ホーガン)、ジェリカホリック(クリス・ジェリコ)、エッジヘッド(エッジ)、ピープス(クリスチャン)など特定のスーパースターのファンを指す呼称が存在する。
主役級のスーパースターは善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)がはっきりと色分けされており、悪玉は観客、地域について罵詈雑言を浴びせ、観客はそれに対してブーイングで応えることを楽しんでいるが、アングルにより、ある日突然役割が入れ替わることも珍しくない。しかし、最近ではWWEがベビーフェイスと設定し、プッシュの割に至らない所があるスーパースターにブーイングを浴びせることもある(ジョン・シナなど)。
登場するスーパースターはオリンピックのメダリストや義足のスーパースター、有名選手の息子、孫等の二世、三世のスーパースターなど多彩である。しかし、生存競争は激しく怪我による長期休場や他団体による引き抜き、人気がなくなると登場頻度が減り、場合によっては解雇される等、長期間連続で出演できるスーパースターは少ない。また、選手の暴走を許したことで運営に大きな支障をきたしたWCWの教訓を生かし、たとえトップレスラーであろうともバックステージでの態度に問題があれば厳しい措置をとっている(ランディ・オートン、レイ・ミステリオなど)。
マッチメイクは「カード」よりも「興行」に価値が置かれ、特番以外の通常興行やハウス・ショーでもタイトルマッチや「黄金カード」と呼ばれるようなエース級のスーパースター同士のシングルマッチが平然と行われる(ただし、ハウス・ショーでのタイトル移動はほぼ皆無であり、「PLE等の大一番に向けての公開リハーサル」という見方もできる)。WWEでは同じカードでも「誰と試合を行うか」よりも「何処で試合を行うか」が重要視されているためであり、その最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。王座戦が何度も行われるので王座の価値は防衛回数ではなく防衛期間と戴冠回数に価値を置かれている(戴冠回数に関してはリック・フレアーの「16-time World Champion」やブッカーTの「5-times Champion」が好例と言える)。このような考え方はビッグマッチまでカードを温存する日本のプロレスとは大きく異なる。
近年はアメリカやヨーロッパだけに留まらず、アジア諸国(日本、韓国、上海、フィリピン、シンガポール、カタールなど)や中南米での興行も多く組まれている。ヨーロッパや北米でのWWE人気は高く、特にイタリアとメキシコではその人気が急速に高まっている。2012年の2月には初のドバイ大会[6]、4月にも初のロシア大会を開催し[7]、海外進出には積極的になってきている。
海外においては90年代前半はイギリスでの人気が高く、サマースラム92年大会では約8万人の大観衆を集め、現在でも定期的にイギリスでのTV収録を行っている。2000年代前半には日本人選手がクルーザー級を中心に複数名所属し、テレビ東京で地上波放送されていたこともありライト層のファンを多く獲得、2005年2月にはアジア初のTV収録公演をさいたまスーパーアリーナで開催している。視聴率やPPV売上において北米が減少傾向だった時に、海外でのPPV販売数は上昇。特にメキシコではWWEの番組は高視聴率を獲得しつつ、PPV市場においても急成長していた。この様なメキシコや中南米の国々の人気もあって、2010年頃からヒスパニック系レスラーの獲得に注力し始め、2011年にはアルベルト・デル・リオがメキシコ出身選手として初の世界王者となった。同年にはメキシコの国民的英雄ともいわれるミスティコがシン・カラのリングネームでWWEデビューし、10月にはメキシコで初のTV収録公演を行った。これらの国以外ではプエルトリコやイタリア、フランスでもTV収録を行ったことがある。
また、WWEフィルムズという映画会社を設立して、所属選手を主演にハリウッド映画界に進出したり、CDを発売したりなど、かつてのようにレスリング以外での活動もよく見受けられる。
大統領選の応援演説に選手が駆り出されたりする。また、WWE自体が社会貢献のために軍の慰問や投票率アップキャンペーン等に積極的に協力している。
政治思想的には共和党支持を掲げており右翼色が強く、アメリカのイラク攻撃に賛同し、アメリカ軍の駐屯地へ赴き慰問興行も行っている。アメリカに敵対する国に対する当てつけとして、その国に倣ったギミックの選手がヒールとして登場することも多い。
湾岸戦争の際、サージェント・スローターがフセインの友人というギミックで登場し、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックのラ・レジスタンスが登場し、数年後には同時多発テロ以降差別に苦しむアラブ系アメリカ人のモハメド・ハッサンが登場した。ただし、この手のギミックはアメリカではファンの憎悪を集めるが、反米感情の強い国ではある種、正論とも取れるため人気を獲得し難い。
一方、リンダ・マクマホンがイラク戦争に当初から個人的に反対していたり、反米ユニットが番組内のディベートで事実上勝利してしまう(結局はうやむやになるが)など経営陣は決して一枚岩ではないことがうかがえ、どちらかといえばビジネスのため政治思想をはっきりさせる、というのが実情のようである。
なお、近年は長年支持してきた共和党政権がもたらしたイラク戦争の失敗、民主党政権への交代、金融危機の影響からイラク戦争開戦当初から前面に押し出してきたかつての反米ギミックの選手を公然と嘲り、アメリカを讃えるといった極端な保守色を薄めつつあり、2010年以降の慰問興行PPV(トレビュー・トゥー・ザ・トゥループス)の収録は外国駐留部隊向けから国内部隊向けへと変わった。
2016年には、ビジネスマン時代からWWEとの関わりがあり、番組に出演、WWE殿堂所持者でもあるドナルド・トランプが大統領選挙に当選。12月には、リンダ・マクマホンが閣僚級のポストの1つであるアメリカ中小企業庁長官に指名された。
2022年3月3日、ロシアのウクライナ侵攻を受けてロシアでのWWE番組の放送、配信を終了したと公式に声明を出した。WWEは「これでロシアでは、同社が製作するRAW、SmackDown、NXT、オンデマンドライブラリー、レッスルマニアを含むすべてのプレミアムライブイベントなど、WWE番組にアクセスできなくなります」と報告。反戦の立場を強調する措置を取った[8]。
新規に番組に出演する方法としてはレスリングやボディビル等の他のスポーツからのスカウト、他団体からの移籍、またはタフイナフ(2001年 - 2004年)やディーヴァサーチという番組内の新人発掘コーナーや、不定期に行われるトライアウトで優勝または合格、もしくは才能が認められる必要がある。こうしてWWEとの契約に至っても、そのほとんどはDevelopment Deal(育成契約)であり、すぐにRAW、またはSmackDownに登場するのは稀である。ほとんどの場合FCW(Florida Championship Wrestling)というWWEのDevelopment Systemを担っているインディー団体でトレーニングや試合を行ってからRAW、SmackDownでのダーク・マッチ(テレビ放送されない試合)に出場し、認められたらRAW、SmackDownに昇格するケースがほとんどであった。もっともDevelopment Dealにサインしたからと言って、WWEへの登場が保証されている訳ではなく、途中で解雇されることもあり得る。また育成期間もあらかじめ決まっている訳ではない。
このような育成機関ともいえる団体としては、2005年8月から2007年4月まではDSW、2000年から2008年2月まではOVWがあったが、契約を解消したと同時にFCWを新しく設立している。OVW出身のスーパースターは多く、バティスタ、ジョン・シナ、ユージン等が挙げられる。また、これらの団体ではケガをしたスーパースターのリハビリやギミック(キャラ設定)がうまくはまらなかったスーパースターのギミックの練り直し等にも使われることがある。
なお、FCWにはそれぞれWWEとは関係のない独自の契約を結んでいるレスラーも存在し、彼らはNon-WWE-Talentとも呼ばれていた。
また、UPW(Ultimate Pro Wrestling)というインディー団体もDevelopment Systemの一翼を担っている。この団体は前出の3団体とは異なり、Development Dealにサインしたレスラーを引き受けて育成するのではなく、WWEのオフィシャルタレントスカウトが所属レスラーからスカウトをするという方式がとられている。またペイパービューイベントなどでの重要な脇役の供給源でもあったが、2007年をもって活動を停止している。UPW出身のスーパースターは、シルベスター・ターカイ、マーティー・ルバルカーダが挙げられる。
2012年8月からFCWは新人発掘番組のNXTと統合されWWE・NXTとして再スタート。WWEと契約を結んだ選手は有名選手なども含めて基本的にNXTでデビューし、経験を積み、RAWまたはSmackDown Liveへの昇格を狙う。WWEはNXTをRAW、SmackDown Liveに続く「第3のブランド」としている。
WWEは2000年代後半以降からは家族揃って見ることができるファミリー路線を採用しているため、会場には家族連れや女性の観客も多い。こういったファン達(ライト層)と、プロレスに関する知識をある程度有する青年以上の層(ヘビー層)が主な客層となっている。
しかし、過去にはアティテュード路線と呼ばれる、ヘビー層を中心としていた時期があり、アングルには下品、流血、色気、暴力、犯罪等ありとあらゆる悪徳が採用されていたが、2000年以降圧力団体のクレームから過激描写を抑制。例えば、流血、頭部への凶器攻撃や試合外での襲撃シーン、お色気シーンなどの過激なシーンに自主規制を加えるようになり、テレビ番組のレーティングをPG(映画のレイティングシステム参照)に引き下げるなど前述のファミリー路線へ転換。これによりストーリーも以前のような過激なものではなくなった。
ヘビー層が観客の多数を占めていたアティテュード路線の時代と比べて異なるファン層が同じ会場にいるため、以前では見られない現象が起こっている。ライト層がストーリーライン上ベビーフェイスと位置づけられるレスラーを応援するのに対し、ヘビー層はそれだけではなくレスラーに試合やパフォーマンスの出来を高く求める。このため両者が声援を送るレスラーにずれが生じて、ベビーフェイスでありながらブーイング、ヒールでありながら声援を送られるという通常では考えられない現象が見られるようになり、特にジョン・シナの登場時はライト層からの黄色い声援とヘビー層からのブーイングがぶつかり合うことが多かった[9]。
WWEは非常に多くの商標を登録しており、2018年4月現在、世界最大の商標データベースであるGlobalBrandDatabaseに掲載されているだけでも3210件もの商標を登録している。会社名などはもちろん、リングネームや選手の技名も登録しており、有名選手名の出願が行われると話題になることもある[10]。また退団した選手が他団体でWWE時代のリングネームを名乗れなくなることが多く、他団体から移籍した選手がリングネームや技名を改名することも少なくない(例:ディーン・アンブローズ→ジョン・モクスリー)。
かつてWWEは70から80年代に新日本プロレスと業務提携するなどしていたが[11]、それ以降は他団体との提携はごく一部となっていた。しかし、2024年にビンス・マクマホンが団体を去って首脳陣が変わって以降は急速に他団体との交流を開始している状況である[12][13]。
TNA(Total Nonstop Action Wrestling)は旗揚げから数年の間対WWE色を強くしていたためにTNAと契約した選手に対して対応を厳しくし、逆にTNAと契約しなければWWEは出戻りに対して寛容であった。しかし2022年にAEWに抜かれ業界3位になると2024年にロイヤルランブル、NXTにTNAの選手が参戦、旧WWEフロントがTNAに移籍する等急激に接近しつつある[14][15]。
AEW(All Elite Wrestling)とは、一部番組の放送時間帯がぶつかり合っている事もありライバル関係にあるが、ケニー・オメガが「WWEと競い合うために団体を作ったとは決して言わない。」と語るなど[16]、旗揚げ当初のTNAと比べて対WWE色が薄いために出戻りに関しては寛容であり、AEWの副社長であったコーディ・ローデスの復帰を認めた。
なお、かつてのROHに関してはTNAのような敵対関係はなく、ダニエル・ブライアンやCMパンクといった元ROH選手のROH時代映像や写真の提供、WWEによる取材を受け入れるなど友好的であったが、2022年にROHがAEWの傘下団体となったため、扱いはAEWと同じになっている。
また、デイビー・リチャーズらが立ち上げたEVOLVEとは、2015年に業務提携を結んだことを発表。2016年にWWEクルーザー級クラシックの予選が行われた。そういった事からWWE所属の選手が現役チャンピオンのままリングに上がり試合をしたりする。また2018年10月28日、EVOLVE 114にストリート・プロフィッツが参戦。EVOLVEタッグ王座を保持するドゥーム・パトロール(クリス・デッィキンソン&ジャカ)に挑戦。最後にモンテス・フォードがジャカにフロッグ・スプラッシュを決めて勝利。ベルトを奪取している[17][18]。
それ以外で[2016年、所属団体の枠を超え、クルーザー級のトーナメントであるWWEクルーザー級クラシックを開催。また、2017年には女子選手のトーナメントのメイ・ヤング・クラシックを開催。
日本マット界に対しては、AEWと蜜月関係にある新日本プロレスやスターダムが最大のライバルであり、2010年代以降になると外国人選手を中心に引き抜き合戦が行われている[19][20][21]。その一方で、トリプルHの体制になってからはプロレスリング・ノアやMARIGOLDなどに対して選手を派遣するなど、関係性を深めている団体もある。(詳細後述)
WWEは2002年以降、ブランド制を採用しており、それぞれのブランド毎にロスター及びストーリーラインが分かれている。その為、選手が別のブランドに出演する事は少ない。PLE(旧:PPV)はそれぞれの番組の主催、それに共催という形態をとっていたが2007年からはPLEは全て3ブランドの共催に変更された(Backlashより)。その後、一時はブランドが統合されたが、2016年5月に「SmackDown」が現地時間7月19日火曜日の放送から毎週生放送となることと同時に「RAW」と「SmackDown」が再び2ブランド制に移行することとなりドラフトを行うことも発表した[22]。
基本的にはスーパースターは「RAW」か「SmackDown」いずれかの所属となっており、時にはトレードやドラフトが行われることもある。
また、王座は各ブランド毎に男子シングル王座が2つ、男子タッグ王座と女子シングル王座がある。ただし、女子タッグ王座はRAW、SmackDownの両ブランドにまたがっている。
ファーム団体として「NXT」が存在しており、設立当初は単なる育成団体だったが、放送時間拡大などによって第3のブランドとして扱われるようになり、「RAW」や「SmackDown」との選手交流も多くなっている。
ウィリアム・リーガルによれば、「RAWは娯楽番組」と「SmackDownは娯楽を含むレスリング番組」、「NXTはレスリング番組」というブランド毎の色分けがなされている[23]。
WWEのスケジュールは、基本的には毎週月曜日に「RAW」の生放送、金曜日に「SmackDown」の生放送を行う。(米国外開催時などは収録になる)。また、生放送前後に録画番組の収録も行われてる。「NXT」についてはフロリダ州内のWWEパフォーマンスセンターにて固定開催し、毎週火曜日に生中継され、その前後で「NXT Level Up」の収録も行う。この他に週に何回かのテレビ収録のない興行(ハウス・ショー)を開催し、月に一度、週末にWWEネットワークやPeacockなどでストリーミング配信する形式でPLE(プレミアム・ライブ・イベント)として特別な興行を行う(かつてはペイ・パー・ビューと呼ばれていた)。
生放送の大会は、主に北米地域で行われるが、時にはROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOURの様に海外で行われる事もある(その場合は当日録画中継が多い)試合出場予定のない選手も帯同しており、時には生放送の時間調整のために試合がねじ込まれることもある[25]。
PLEは2002年までは年12回程度行われていたが、2ブランド制への移行により2003年からRAW、SmackDown!単独開催の場合と両ブランド共催の二形態になり、2005年からは14大会、2006年はECWも含めて16大会に増えた。しかし、その多さゆえシナリオがきちんと成り立っていなかったり、またレスラーの疲労も激しいため2007年から計15大会、3ブランド共催の形になり、2008年からは計14大会、2012年からは再び12大会となっていたが、その後は上昇に転じ、NXTテイクオーバーの開始やブランドの再分割などにより、2019年には26大会となったほか、2024年2月現在通常のPLEはオーストラリア、フランス等アメリカ国外での開催を予定している。そのPLEの中で歴史ある5つのPLE(Royal Rumble、Wrestle Mania、Summer Slam、Money in the Bank[26]、Survivor Series)を盛大に行われる。その中でも最大のイベントがWrestle Maniaであり、第32回大会では10万人を集めた。PLEの試合動画はテレビ放送では流されない事が多かったが、SNS全盛となった現在ではTwitterやYouTubeなどで大会の模様がリアルタイムで投稿されることが増えている。
ハウス・ショーはテレビショー同様、ブランド別に開催している。そのため、他のテレビショーとスケジュールを合わせる必要はなく、例えばRAW収録日にSmackDownが別の都市でハウス・ショーを開催することも少なく無く、週末には2都市同時に行われることもある。なお、土曜日に行われるハウス・ショーは「サタデー・ナイト・メイン・イベント」、日曜日は「サンデー・スタナー」との大会名で行われる事が多い。
ハウス・ショーではテレビショーで見られるような華やかな演出はなく淡々と進行するが、テレビショーと異なりCMを挟む必要が無く、ストーリーを進行させる必要もないためアングルとしてのマイクパフォーマンスも不要になり、時間配分に比較的余裕ができる。そのため入退場時にファンとのタッチやツーショットの自撮りに応じたり、テレビショーで進行するストーリーラインからある程度解放されるためテレビでは見られないようなパフォーマンスを見せてくれることもある。また、ダーク・マッチ同様、新人レスラーやギミックのテストの場ともなっている。
ハウス・ショーは週2回で、特に週末は必ずハウス・ショーかPLEに割り当てられ、それ以外の日にも他業種のイベント参加やメディア出演などの活動を行っている。以前は年末年始に休みの期間があったが、1月1日に「DAY1」が行われるなどして、現在はほぼ年中無休で活動している。
トップレスラーは世界中で生放送やハウス・ショーを行うために、1ヶ月で地球3周分移動し[27]、週2~3大会ペースで試合しながら、深夜には移動を開始するという過密スケジュールをこなしながら、パフォーマンス維持のトレーニングをせねばならず、さらにはメディアのインタビューやテレビ出演に時間を割かねばならないなど過酷な勤務形態も問題になっていた。過去にはこの過酷さに退団する者や、肉体の痛みをごまかすため鎮痛剤を服用した影響とみられる死亡事故が起こっていた。しかし、現在のトップクラスの選手は休暇を取ることも多く[28][29]、中邑真輔によれば、smackdownやハウスショーが終わって月曜日に帰宅してから木曜日の夕方までは休むことができ、家族行事などで休暇を取ることもできると語っている[30]。
宿泊施設、食事、トレーニングジムの確保、会場移動は航空機代を除いた費用も含めて完全に自己に任せている[31]。その為か、移動中の様子が番組となったことがある[32]。なお、NXTは集団でのバス移動が多い[25]。
タイトル | 保持者 |
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世界ヘビー級王座 | グンター |
女子世界王座 | リヴ・モーガン |
世界タッグ王座 | JDマクドナー フィン・ベイラー |
WWEインターコンチネンタル王座 | ブロン・ブレーカー |
タイトル | 保持者 |
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WWEユニバーサル王座 | コーディ・ローデス |
WWE女子王座 | ベイリー |
WWE US王座 | LAナイト |
WWE女子US王座 | TBD |
WWEタッグ王座 | クリス・セイビン アレックス・シェリー |
タイトル | 保持者 |
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WWE女子タッグ王座 | ジェイド・カーギル ビアンカ・ベレアー |
クラウン・ジュエル(男子) | コーディ・ローデス |
クラウン・ジュエル(女子) | リヴ・モーガン |
タイトル | 保持者 |
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NXT王座 | トリック・ウィリアムズ |
NXT女子王座 | ロクサーヌ・ペレス |
NXT北米王座 | オバ・フェミ |
NXT女子北米王座 | ケラニ・ジョーダン |
NXTタッグ王座 | ネイサン・フレイザー アクシオム |
NXTヘリテージ・カップ | トニー・ディアンジェロ |
ビンス・マクマホン(ビンセント・ケネディ・マクマホン)の祖父のロドリック・ジェス・マクマホンは1925年からニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)を拠点としてプロレス、ボクシングの興行を行っていたプロモーターだった。第二次世界大戦前後の一時期はMSGがプロレスの興行を行っていなかったためにワシントンD.C.を中心に活動。1954年の彼の死後は息子でビンス・マクマホンの父、ビンス・マクマホン・シニア(ビンセント・ジェームス・マクマホン)が興行会社のキャピトル・レスリング・コーポレーション(Capitol Wrestling Corporation)を引継ぎ、1956年からMSGに再進出。激戦区ニューヨークで唯一MSGのプロレス興行権を獲得した。アントニオ・ロッカやバディ・ロジャースをメインイベンターとして興行を行い、格闘技・プロレスの殿堂と呼ばれるMSGの伝統を引き継いだ。1948年に発足したNWA(National Wrestling Alliance)にも加盟して大物プロモーターとして大きな発言権を得た。
1963年、ビンス・マクマホン・シニアは1月に起きた自派のバディ・ロジャースからサム・マソニック派のルー・テーズへのNWA王座の移動を認めず、3月に試験的にWWWA(World Wide Wrestling Association)を、5月にはNWAを脱退してWWWF(World Wide Wrestling Federation)を設立。同時にロジャースを初代WWWF王者に認定して5月14日にロジャースを破って王者となったイタリア系のブルーノ・サンマルチノを新団体の絶対的な主人公とした。NWA再加盟後の1970年代前半にはプエルトリコ系のペドロ・モラレス、中頃には再びサンマルチノからスーパースター・ビリー・グラハムへ、1970年代終盤から1980年代前半にかけてはボブ・バックランドへと王座と主人公の座が移っていった。当時のアメリカプロレス界は北部のAWA(American Wrestling Association)、東部のWWWF、南西部のNWA加盟団体を中心に、各地区のプロモーターが暗黙の不可侵条約を結んでいた時代であり、WWWF所属だったアンドレ・ザ・ジャイアントが各地にゲスト出場して親善大使的な役割を務めた。1979年3月、団体名をWWF(World Wrestling Federation)に改称。1982年6月、大学を卒業後リングアナウンサーやプロモーターをしていたビンス・マクマホンと妻リンダが不仲であったマクマホン・シニアからWWFの親会社キャピトル・レスリング・コーポレーションを譲渡ではなく株式の買収という形で手に入れて、新会社タイタン・スポーツ(Titan Sports, Inc.)を設立。
1983年末、ビンス・マクマホンはWWFの全米進出によるプロレス界の統一に着手、当時AWAに在籍していたハルク・ホーガンを筆頭に、NWAからもロディ・パイパーやポール・オーンドーフなど各地の有力選手を次々と引き抜いた。テレビ局からNWAの試合を放送していた枠の放送権を買い取ると、同年12月27日、いきなりNWAの本部が置かれていたセントルイスで興行を行った。以降も次々と他団体へのM&Aや同様のケーブルテレビ番組を利用した中継等により事業を大幅に拡大。この一連の侵略行為は旧来のプロモーターから同名の有名SF小説に準えて「1984」と呼ばれた。
1985年には歌手のシンディ・ローパーやホーガンと共に、ロッキー3にも出演したアクションスターミスター・TをMTVのプロレス特番に出演させ注目を集めると、同年3月19日にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWrestleManiaを開催。ローパーの他にも元ニューヨーク・ヤンキース監督のビリー・マーチンや元ボクシング世界王者のモハメド・アリ、ショー・ピアニストのリベラーチェらを招き、ホーガンやミスター・Tをメインで戦わせたこのイベントは約2万人の観客を集め、プロレスイベントとしては異例の400万ドルの興行収益をあげた。全米がホーガンを中心としたプロレス・ブームに沸き、この現象はマスコミから「レスリング・ルネッサンス」と称された。さらに2年後のWrestleMania IIIではメインにホーガンvsアンドレ戦を組んでデトロイトのシルバードームに9万3173人の観衆を集め、大人から子供まで、あらゆる世代が一緒に楽しめるファミリー・エンターテインメントとして、全米マット界での圧倒的な人気を証明してみせた。
ホーガンがプロレスの現場から離れがちになった1988年から1992年頃はランディ・サベージやアルティメット・ウォリアー、シッド・ジャスティスやジ・アンダーテイカーらが団体の主役の座を担った。また旧NWAから誕生したWCW(World Championship Wrestling))の絶対王者、リック・フレアーの電撃移籍といった事件もあった。
この頃、会社全体でのステロイド剤流通への関与、それに伴うレスラーたちのステロイド剤使用疑惑が発覚、FBIによる捜査が行われるまでの事件に発展して裁判は数年続き、被告としてビンスが出廷する事態となったが最終的には証拠不十分により、無罪判決に落ち着いた。だがこの事件の影響は大きく、団体に溢れていたスーパーヘビー級の「筋肉マン」タイプの選手たちは一気にフェードアウトしていく。代わって主役の座を手にしたのは技巧派で体型もナチュラルな"ヒットマン" ブレット・ハートだった。
1993年には「MONDAY NIGHT RAW」(後に「RAW IS WAR」「RAW」と改称)の放送を開始。ディーゼル、レイザー・ラモン、ショーン・マイケルズらが台頭してブレットなどと共にニュー・ジェネレーションと呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍してWCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。
1995年9月4日、エリック・ビショフが副社長に就任したWCW(オーナーはテッド・ターナー)が「MONDAY NIGHT RAW」の裏番組として「MONDAY NITRO」の放送を開始、両番組の視聴率争いが始まった。WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。これを引き金とし、「月曜夜の視聴率戦争(Monday Night Wars)」と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。
一時期は人気選手の相次ぐ引き抜きやnWoというユニットの大ヒット、無敵のスーパースタービル・ゴールドバーグの大ブレイクなどでWCWがリードし、1996年6月10日から1998年4月13日まで実に83週間連続でナイトロはロウの視聴率を上回った。それに対しWWFは1997年以降、D-Xに代表される悪ふざけやお色気の要素を取り入れたアティテュード(Attitude、態度・感性という意味だが元々不愉快な、ケンカ腰の態度といった意味合いを持つ)路線に切り替え、団体オーナーのビンス・マクマホンとストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争で人気を逆転させた(1998年4月13日に二人の初めての直接対決が組まれていた)。
1998年後半、格闘技色を前面に押し出した「Brawl For All」なる企画も展開していたことがある(優勝はバート・ガン)。無論、この企画は大失敗に終わり、「WWEの負の歴史」とも一部では呼ばれている(ブラッドショーが決勝戦まで進出していたり、控え室にいたスーパースター達には好評だったらしい)。
プロレス史に残る抗争と呼ばれるオースチンvsマクマホン抗争に加え、WWFはジ・アンダーテイカーやショーン・マイケルズのライバルとしても活躍したマンカインドがその「自虐的」とも評されるハードコア・スタイルでカルト的な人気を集める。マイケルズは1998年に一時引退するものの、マンカインドとの連戦を通して若手のザ・ロックとトリプルHが次代の主役の座を掴み一気にスターダムに駆け上った。二人はすぐにオースチンと肩を並べるまでになり、WWFのストーリーはこの三人を中心として動いていく。そこに元オリンピック金メダリストから転身したカート・アングル、WCWから移籍したビッグ・ショー、クリス・ジェリコ、クリス・ベノワらが絡むようになる。1999年夏からはSmackDown!の放送も開始、WWFの優位が徐々に確立されていった。
1999年、NASDAQに上場。取引所内で使われる証券コードもWWEであった。
1999年頃からWCWはストーリーラインの迷走から視聴率が急低下し、もともと組織の統制が取れていなかったこともあり内部崩壊。奥の手としてWWFの脚本を書いていた放送作家ビンス・ルッソーを引き抜くが、それは状況をさらに混沌とさせ、一時期失脚していたビショフが復権するも状況を好転させることはできなかった。2001年1月、第三団体だったECWが経営難から活動停止・破産し、WWFはECWの全ての権利を買い上げ債権を回収。同年3月23日、莫大な赤字を計上して経営破綻したWCWを買収した。これによって「Monday night war」も終結し、米マット界は事実上WWFの独占状態となった。
Monday night warsが繰り広げられた1990年代後半は全米で空前のプロレスブームが起きた。街中にプロレスTシャツを着た人が溢れかえったという逸話もある。しかしこの抗争の間には「モントリオール事件」やオーエン・ハートの事故死など、いくつもの後味の悪い事件も起こっている。
WCW買収後は「WCWオーナー」とされたシェイン・マクマホンを中心に、WWFに合流した旧WCW、ECWの選手たちによってWCW・ECW連合軍(アライアンス)が結成されるも、この抗争はWCWの中核選手不在により振るわずフェードアウトしていく。その後、11月18日にダッドリー・ボーイズによりWWFタッグ王座とWCWタッグ王座が統一(初の同時王者はジ・アンダーテイカー&ケイン)、12月9日にはクリス・ジェリコによってWWF王座とWCW王座が統一され、WWF統一王座が誕生した。
WCW、ECWといった競争相手買収後は、競争相手不在によりWWE自体の観客動員や視聴率で苦戦したり、一回り小さいアリーナを使うことが増えた時期もあった。2002年には長年にわたるWWF(世界自然保護基金)との名称を巡る裁判に敗れ、5月6日団体名をWWEへと改称[5][33](公式発表では「よりエンターテイメントを追求するための改称」とされる[33])。ささやかな抵抗として「Get the "F" out(Fなんかいらない)」キャンペーンを展開した[33]。同時に親会社タイタン・スポーツの名称もWWEに統一した。
2001年末には団体の共同オーナー(シェインとステファニーから団体の株式50%を購入した、という設定)としてリック・フレアーが、2002年のWrestleMania X8前にはnWoのメンバーとしてハルク・ホーガンがWWEに復帰、ストーリー上重要な登場人物となる。元WCW、ECWのレスラーを多く雇用し、ストーリーが賄いきれなくなったことから3月25日に開催されたRAWでビンスGMのSmackDown!、リック・フレアーGMのRAWの間でドラフトを開催。両オーナーがスーパースターを一人ずつ(場合によっては1組)指名していき、それぞれの番組の専属スーパースターとさせることとなった。これ以降、RAWとSmackDown!は別ブランドとしてストーリーを進行させていくことになった。
時を同じくして、団体の象徴であったオースチンが怪我により事実上の引退、ザ・ロックも映画俳優に転向を計画しリング上から離れがちになり、RAWではトリプルHを中心とした王座戦線を展開。2003年3月には、かつてのライバルWCWの最大のスターだったゴールドバーグをついに獲得したが、90年代後半のようなプロレスブームの再燃にはならなかった。ゴールドバーグは世界ヘビー級王座を獲得するも2004年の3月には引退した。
その中でランディ・オートン、バティスタ、エッジ等の有望な世代が成長し新たなメインイベンターとなる。SmackDown!ではレスリング出身のブロック・レスナーが史上最年少でWWE王座を獲得する等大いに期待されたが、NFL挑戦のために退団。その後はWWE王座に縁の無かったエディ・ゲレロ、JBLがWWE王座を獲得。ジ・アンダーテイカー、カート・アングル、ビッグ・ショー、レイ・ミステリオ等のベテランも活躍し、王座戦線を盛り上げた。D-ジェネレーションXの復活もまた往年のファンを楽しませ、新しいファンの獲得に一役買った。そんな中、抜群のレスリングセンスとカリスマ性があるランディ・オートンに、女性や子供に人気のあるジョン・シナが徐々にメインイベンターへと上り詰めた。クリス・ジェリコやケインらはその安定した実力をもってして脇を固めるなどし、便利屋のポジションから大いにこの時期を支えた。後に最高位の王座前線に参戦している。
また、リング外では2002年にWWE Filmsを設立し、映画およびテレビ番組の映像コンテンツの強化を行った。
2004年という年はオートン、シナ、エッジ、バティスタ等新世代の時代が始まりの年となった。この4人以外にもカリート、Mr.ケネディ、MVP等の若手がデビューしている。それと時を同じくして、選手の出入りのペースが早まるようにもなった。
これ以降、アティテュード時代の雄であるオースチンらは特別な回にしか登場しないが、オートン、シナ、エッジ、バティスタ等の新世代が主力となり、90年代から出場しているトリプルH、アンダーテイカー、ショーン・マイケルズ等のベテランの力を借りながら世代交代を着実に進めていったが、その裏で、ブッカー・T、カート・アングル等トップレスラーの大量離脱やレスラーのドラッグ使用等の課題も多く、また、2005年のエディ・ゲレロ・2007年のクリス・ベノワの死去はWWEに大きなショックを与えた。
しかしながら、タフイナフやディーヴァサーチといった育成番組出身のミシェル・マクール、ザ・ミズ、ジョン・モリソンが新たな番組の中心スターとして活躍し、また、コーディ・ローデス、テッド・デビアス・ジュニア、マイケル・マクギリカティ、ハスキー・ハリス、ウーソズ、ナタリヤ、タミーナなど80年代〜90年代のWWFを支えたレスラーの血を引く若手スーパースターが数多く在籍し、この時代を支えてきた。
2006年、Monday Night War時代にハードコア路線でWWF、WCWと興行戦争を行っていたECWがWWE傘下で復活することが決定。Monday Night Wars時代にECWを率いていたポール・ヘイマンが番組の指揮を執り、ロブ・ヴァン・ダム(RVD)、サブゥー、サンドマン等1990年代の旧ECWの人気選手が参戦したこともあり大きく注目されたが、番組復活直後からかつてEC"Fuckin'"Wと評された頃の過激なECWとはまるで違った団体となってしまったことが露呈。多くの名選手がTNA移籍のため参戦不可となり、人材不足からてこ入れとして旧ECWとは関係の無かった選手をメインイベンターとして起用せざるを得なくなる。最終的にはWWEに初登場する新人のためのデビューの場として、ほとんど若手育成のための番組となった。
同年には、WWE Films初の単独制作映画の「シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ」を公開。映画製作に乗り出し、後に映画部門はWWE Studiosに改名。多くの映像作品を生み出している。
2007年、下部団体としてFCWを設立。アルベルト・デル・リオやウーソズなど多くのメインイベンターを排出する。
2008年1月のRoyal Rumble 2008 より映像のHD化が行われた。テレビ放送も翌日から移行。
2009年4月からはブランド共通で選手が登場するWWE Superstarsが、2010年2月からは新人育成番組NXTの放送を開始した。
2011年4月より、社名を「World Wrestling Entertainment」から「WWE, Inc.」に変更し、それまで「World Wrestling Entertainment」で扱われていたブランド名も全て「WWE」に統一されることになった[34]。各種テレビ番組の開発推進と共に、タレント開発部門(部門統括にはトリプルHが就任)を発足させている。
8月29日、RAWとSmackDownの番組としてのブランドは残しつつ、ストーリーの共通化とスーパースターの両番組への出演の柔軟化(以降ほぼ無制限に両番組に出演できるようになった)が発表され、実質的にRAWとSmackDownの再統合がなされた。各スーパースターは、その後しばらくの間はいずれかのブランドに所属していたが、後述する2016年のドラフトまで、所属ブランドという概念も無くなり、全て共通してWWE所属という扱いになっていた。タイトルも全てWWE管理に統一され、2013年12月15日にはこれまで最高位として存在していた世界ヘビー級王座が廃止、統合された。それまで、各ブランド独自に主催していたハウス・ショーにもブランドに関係なく全てのスーパースターが出演する様になった。
2012年、WWE下部団体であったFCWと新人発掘番組のNXTが統合され、NXT Wrestlingとして始動。フロリダ州に位置するフルセイル大学を会場とし、数回分の収録をまとめて撮影し放送する体制を取っている。2013年にNXTと改称された。
2014年、1980年代にWWFに所属したビリー・ジャック・ヘインズが当時受けた頭部へのダメージや脳震盪が原因で慢性外傷性脳損傷(CTE)を患ったとしてWWEを相手に告訴を行った[35]。ヘインズ対WWE訴訟は2016年末までにロード・ウォリアー・アニマルら、60名余りのWWF/WWEに所属した経験を持つ元レスラーがCTE患者として原告に名を連ねる集団訴訟に発展した[36]。これに対して司法側は原告の元レスラーたちの多くがWWE以外の他団体でも活動していた事に加えて、そもそも現在の技術ではCTEの診断が患者(と目される人物)の死後にしかできないことに着目し[37]、WWEでの試合のみにCTEとの因果関係を帰結させることは困難として請求を却下している。
但し、クリス・ベノワは死後の解剖の結果、重度のCTEであったと診断されている。更に2009年に死去した「テスト」ことアンドリュー・マーチンもCTEと診断されている。これを受けてWWEは頭部への攻撃について、凶器攻撃の際は頭部ではない場所を攻撃する、パイルドライバーなど頭部への衝撃を逃すことができない技の使用を禁止する[38]などの自主規制をヘインズ対WWE訴訟以前から行っている。
同年、インターネットを介して視聴可能な有料の24時間ストリーミングビデオサービス(WWE Network)を2月24日から開始すると発表した。PLEを含む全試合のライブ中継、WWEが放映権を持つ過去の映像(WCWやECWも含む)、テレビ放映時にはカットされるような試合前後のレスラー達の動き、独自番組などをオンデマンド配信する。まずは北米でサービスを開始し、英語圏の国を中心にサービスを広げており、日本では2016年1月5日からサービス開始となった(ただし、日本語字幕はなし)。
2016年7月19日、RAWとSmackDownの再分割が行われる。また、その際に各スーパースター選手の所属ブランド移籍を決めるドラフトが再始動されることになり、2017年以降はスーパースターシェイクアップという名で続いている。
2020年3月以降、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大に伴い全米各地で外出禁止令が発出、WWEの興行も事実上不可能となり、全試合を録画で放送することを始めたところ、同年4月9日、フロリダ州知事が食料品店や病院などと並びプロレスを「必要不可欠なサービス」として認定。4月13日からフロリダ州オーランドにあるパフォーマンスセンターにて試合の実況放送を再開した[39]。
一方、4月15日には予算削減措置に言及。幹部の給与の引き下げとともに、ドレイク・マーベリック、ザック・ライダー、カート・ホーキンスらの解雇が発表された[40]。
日本国内での事業にも影響を与え、7月に開催予定だった3大会(7月2日・大阪府立体育会館大会、7月3日~4日・横浜アリーナ大会)を中止[41]。また3月に選手契約を締結していたSareeeについても渡米が困難な事態に陥った事から、WWE所属のまま日本国内での活動を許可する決定を下した[42]。
2021年5月26日、同週に入って管理職を含めた35人のバックステージスタッフを解雇したと複数のアメリカメディアが報じた。主にテレビ制作とデジタルコンテンツ制作で重複している業務を統合した影響で大量解雇につながったと見られ[43]、さらに、2021年9月2日付の日本政府官報で日本法人となるWWEジャパン合同会社の解散公告があった。同月1日に全従業員が解散に同意したものとされる。米メディアによると、その流れによる組織変更の一環だと伝えている[44]。
WWEでは2020年春以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響で経営的な問題があったとして100人を超える選手、スタッフが解雇された。
2022年6月、会長兼CEOのビンス・マクマホンが不倫関係にあった元従業員に300万ドル(日本円換算で約3億9000万円)の口止め料を支払ったとされる問題をWWE取締役会が調査していると報道[45]。これを受け、ビンスは調査が終了するまで会長とCEOの座から離れる事態となり、娘のステファニーが同職を引き継いだが、7月22日に会長兼CEOとしての引退を発表。WWEの現場からは離れることとなった[46]。
しかし、ビンスは数ヶ月後の12月に自身の取締役会復帰を要求。大株主ということもありその要求が認められ、翌2023年1月6日に取締役に復職し[47]、10日にはわずか半年足らずでWWE会長職に再就任した[47]。なお、この間にCEOを務めていたステファニーはWWEから離れた[48]。
2023年4月3日、世界最大級の総合格闘技団体であるUFCの親会社として知られるエンデバーがWWEを93億ドルで買収したことを発表。なお新会社では、WWEはマクマホンが取締役会長、ニック・カーンが社長を継続する[49][50]。この発表はレッスルマニア39の翌日の事であった。同日のRAWに最高コンテンツ責任者のトリプルHが登場。この買収によってWWEは変わらない事を強調した[51]。
9月12日、UFCと正式に合併してTKOグループ・ホールディングスが発足。それと同時にWWEとしては上場廃止し、変わってTKOグループ・ホールディングが上場[52][53]。エンデバーはTKOグループ・ホールディングスの51%の支配権を保有したことで、設立当初からのマクマホンファミリーの一強体制は事実上終焉した[54][55]。さらに、2024年1月26日にはマクマホンがTKOグループ・ホールディングスの会長を辞任している[56]。
2024年1月23日、Netflixとの業務提携を発表。Netflixは2025年1月よりアメリカ・カナダ・イギリス・ラテンアメリカ等でRAWを独占的に配信するほか(同社では「新たなホームとなった」としている)、SmackDown・NXT等の他ブランド、レッスルマニア・サマースラム等のプレミアムライブイベントについてもアメリカ国外での独占配信権を得たこと、また同社が得意とするスポーツドキュメンタリーをWWEにおいても展開することなどを明らかにしている[57]。なお、アメリカをはじめとする一部の地域ではRAWのテレビ放送が2024年限りで終了することになった[57]。
日本プロレスとは創設者であった力道山がアメリカではロサンゼルス等の主に西海岸を中心に活動していた事もあり、当時のWWFとはあまり縁がなく団体同士の業務提携も結ばれていなかったが、全米武者修行中であったジャイアント馬場がビンス・マクマホン・シニアによって『ババ・ザ・ジャイアント』のリングネームを与えられ、WWFのエリアでメインイベンターとして活躍している等、日本プロレスに所属する選手との個人的な交流は存在していた。なお、力道山は2017年にレガシー部門でWWE殿堂入りし表彰されている。
新日本プロレスに関しては、NWA内での同じ反主流派ということもあり、1974年頃から業務提携を結び、AWAからWWFへブッキング権の移ったアンドレ・ザ・ジャイアント、現役王者のスーパースター・ビリー・グラハムやボブ・バックランドをはじめ、当時のトップレスラー達の派遣やタイトルマッチの開催、新規王座の認定等、強固な協力関係を保っていた。後に新日本プロレスの看板外国人となるスタン・ハンセンやハルク・ホーガンも、大ブレイクを果たす前にWWWF / WWFからブッキングされたレスラーである。権限のない名誉職ではあったが、新間寿が当時のWWFの会長になったこともある。
だが、ビンス・マクマホン・ジュニアが実権を握り、全米マット制圧を掲げだした頃から、所属レスラーを自団体の興行へ優先させるために、トップレスラーの派遣を渋るようになり、さらに、提携継続の条件として高額な提携金を要求し、支払ったにもかかわらず、相変わらずトップレスラーの派遣を渋るなど、徐々に新日本プロレスとは疎遠となり、最終的に1985年10月末に提携は解消された。
全日本プロレスに関しては、ジャイアント馬場が全米で武者修行していた頃からビンス・マクマホン・シニアとは旧知の仲ということもあり、新日本プロレスがWWFと提携する以前は、馬場や海外武者修行中だったジャンボ鶴田が単発ではあるがWWFの興行に出場するなど交流は行われていた。その後、新日本プロレスが正式にWWFと団体間の業務提携を結んでからは交流は行われなくなったが、ブルーノ・サンマルチノと馬場が親友同士ということもあり、サンマルチノは馬場との友情関係を理由に新日本への参戦を拒否し、全日本プロレスに出場し続け、PWFとのダブルタイトルマッチとして全日本プロレスのリングでWWFの防衛戦を実現させている。また、サンマルチノ以外にもゴリラ・モンスーンやドン・デヌーチなどのサンマルチノや馬場と親交の深かった当時のWWF所属レスラーたちも全日本プロレスに出場するなど、個人的な交流は存在していた。
一方、女子では分裂後の日本女子プロレスと提携した後、全日本女子プロレスに参戦していたファビュラス・ムーラのWWF入りを機に、全女との間で選手派遣で関係を持っていた。そのラインでWWFに参戦したジャンピング・ボム・エンジェルス(立野記代、山崎五紀)やブル中野の活躍もあり、その後も全日本女子プロレスの選手が定期的にWWFに参戦するプランもあったが、1995年に当時の同団体の女子王者であったアランドラ・ブレイズ(デブラ・ミセリー、日本ではメドゥーサ)が、王者のままWCWへ移籍し、番組内にてWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てるパフォーマンスを行ったため、女子レスラーの出場が一時期見直された事により立ち消えになってしまい、団体としての交流は途絶えている。
新日本プロレスとの提携解消後、特定の団体とは提携を結ばなかったが、1990年には新日本プロレスおよび全日本プロレスの3団体合同で東京ドーム興行「日米レスリングサミット」を開催。その後(1990年から1992年の間)、SWSと提携を結び、幾度かの合同興行を開催したり、王座の認定や所属レスラーの派遣などを行っており、SWSが活動を停止し解散した後は、SWSから分裂したWARとしばらくの間交流を持ち、所属選手を派遣していた。
この頃、単独での日本進出を目論んでいたこともあり、日本のプロレスマスコミには好意的で、アメリカのマスコミでも入ることができなかったリングサイドでの取材や、マクマホン本人が日本向けにテレビインタビューに出演する等、積極的に協力している。ただし、2007年になり番組が全てHDTVで製作されるようになると、リングサイドでの取材は突如禁止となった。
1994年には「マニアツアー」として横浜、大阪、名古屋、札幌で単独興行を行ったが、当時のWWFとは関係ない日本人レスラーの出場、バックステージの趣向を凝らさなかったこと、本場の様な豪華なセットを組まなかったこと、それにプロレスの興行を扱ったことのない興行会社がプロモートを行ったことなどがあり、直輸入を期待していたファンからの支持が得られず、興行成績も振るわず、2002年に再上陸するまで自社の手による興行は開催されなかった。
1998年に開催された全日本プロレス初の東京ドーム大会にベイダーが参戦。
2005年に開催された「レッスルマニア21」では元横綱の曙が特別出演し、ビッグ・ショーとのスモー・マッチが行われた。
現在はWWEを解雇されたレスラーがジョニー・エースの斡旋等で日本のマットに上がることが多くなり、ジャマールとチャック・パルンボ、ドク・ギャローズのように復帰が認められるケースもある。
J SPORTSでの放送以降、他のスポーツを視聴することが目的でJ SPORTSを視聴した視聴者がWWEのファンになることが多く、一般的なプロレスファンとは異なるファン層を獲得している。特に団体外の要素を団体内に持ちこむことが嫌われる傾向にあり、来日公演では、
などのエピソードがある。
細かい動きにも賛辞を送る日本人ファンに対するレスラーの評価は高いといわれている。来日回数が豊富なリック・フレアーも「アメリカのファンはショーとして見るが、日本のファンはスポーツとして見る」と語るほどアメリカとは別の要素が求められることを強調している。
なお、放送内ではアメリカの別の団体名を挙げることはまずないが、日本で活躍してWWEにやってきたレスラーの紹介では実際に日本の団体名を挙げて紹介することがある(新日本プロレス、DRAGONGATE、スターダムなど)。近年では「IWGP」、「東京ドーム」などの日本に関連する言葉も頻繁に使われるようになった。
2015年8月22日に行われた「NXTテイクオーバー」に獣神サンダー・ライガーが新日本プロレスの所属レスラーとして出場。1985年に提携を解消して以来、約30年ぶりに新日本プロレスに所属するレスラーのWWEへの出場となった[58]。
2016年7月から9月にかけて行われる「WWEクルーザー級クラシックにTAJIRI」、飯伏幸太、戸澤陽が参戦している。TAJIRIは10年ぶりの参戦である。
2018年9月1日に開催された丸藤正道のデビュー20周年記念試合にヒデオ・イタミが出場。現在、業務提携をしている団体を除き、基本的に他団体への選手の派遣や貸出を行わないWWEが特例として貸出を行っている。
2022年10月、カール・アンダーソンが新日本プロレスの王座であるNEVER無差別級王座を所持したままWWEに移籍。その後、ダブルブッキングが起きたとして、11月5日の新日本プロレス大阪府立体育会館大会でのNEVER無差別級王座戦を拒否し、11月6日のサウジアラビアでのWWEクラウンジュエル大会を優先することを示した。NEVER無差別級王座戦を反故にした場合は新日本プロレスがNEVER無差別級王座の返還を求めるなど禍根を残したが[59]、2023年1月のWRESTLE KINGDOM 17で対戦が実現。結果はアンダーソンが敗れ、王座を手放した。
2023年1月1日、プロレスリング・ノア日本武道館大会に中邑真輔が出場し、グレート・ムタと対戦。12月31日 - 2024年1月3日にかけて、NXT所属選手のチャーリー・デンプシーが全日本プロレスに参戦し、三冠ヘビー級王座に挑戦[60]。2024年7月13日にノアにAJスタイルズが[61]、MARIGOLDにイヨ・スカイが参戦[62]。さらに、NXT所属選手をノアの「N-1 VICTORY」に参戦させるなど[63]、選手の派遣が多く行われるようになった。
このほか、ビンス・マクマホン・シニア時代のWWWFおよびWWFにはジャンボ鶴田、アントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、長州力、タイガーマスク(初代)、ビンス・マクマホン・ジュニア(現:ビンス・マクマホン)の体制期に入ってからはザ・コブラや前田日明などが檜舞台のマディソン・スクエア・ガーデンに出場している。藤波[68][69]、タイガー[70]、前田[71]は、それぞれWWFを短期間サーキットしていた。
ビンス・マクマホン体制期の日本人レスラーとしては、WWF時代にブル中野が女子王座を獲得するなどトップレスラーとして活躍。ジャンピング・ボム・エンジェルス(立野&山崎)も女子タッグ王座を1988年の第1回「ロイヤルランブル」の大舞台で獲得した。2000年以降、所属していたレスラーではTAKAみちのくが1998年に初代WWFライトヘビー級王座を獲得。TAJIRIはシングルとタッグで王座を7度獲得した。また、2023年にはイヨ・スカイとASUKAの間で日本人選手同士の女子王座戦が実現した[72]。
近年では日本人選手のコーチ契約も増加しており、ケンドー・カシン、鈴木秀樹、里村明衣子などがコーチ契約をした。また、2020年には秋山準が臨時コーチ契約を発表するも、新型コロナウイルスの世界的蔓延から白紙となった。
このほかにもザ・グレート・カブキ、ジャイアント馬場に殿堂入りの打診があったが、辞退したと報道されている[73]。
1992年4月から1993年5月までWOWOWがPPV大会のみを1か月遅れの120分枠で「レッスルマニア8」、「サマースラム92」、「サバイバーシリーズ92」、「ロイヤルランブル93」の4大会を放送した(実況:土居壮、解説:斎藤文彦。日本版ビデオシリーズのコンビが担当)。また、1992年8月8日の「ハルク・ホーガンスペシャル」、1992年8月15日の「ヒストリー・オブWWF」を2週にわたって特別番組が放送された。
地上波では1992年9月から1994年1月まで日本オリジナル番組の「WWFスーパープロレス」が独立UHF局で放送された。ストーリーのダイジェストと試合を中心に60分枠で放送。なお、試合の映像は本国から1年遅れであった。斎藤文彦と土居壮のコンビが吹き替えでもなく、全くリアルタイムで見ているかのような実況と解説を行っていたのが特徴であった。
1998年にSKY sports(現:J SPORTS)との間で放映権を締結し、ウィークリー番組が放送開始。字幕翻訳は株式会社ルミエールが担当していた。当初、PPV特番もJ SPORTSでも放送されていたが、2003年よりスカチャン(旧パーフェクト・チョイス)などでのPPV放送に切り替えられた。
当時は3週間遅れての放送(例として、2005年2月4日のRAWさいたま大会の場合、米国では2月7日の放送であったのに対し、日本では2月28日に放送された)であり、ハウス・ショーが日本で行われる際にチャンピオンが違っていたり、日本の放送スケジュール上まだ登場していないスーパースターが試合をすることもあった。
2001年10月から2002年12月までテレビ東京が深夜枠で放送。当初は「ライブワイヤー」を放送していたが、本国での同番組の終了以降は「Afterburn」を放送した。マイクアピールを除く、試合の実況解説などを字幕ではなく日本語吹き替えで対応したことが大きな特徴といえる。なお、英語圏以外の国でのWWEの番組は吹き替えが一般的である。
テレビ東京での放送終了後、2003年4月から2005年3月まではフジテレビが関東ローカルの地上波で放送した(J SPORTS協力の元、新たに字幕スーパーや日本語ナレーションを追加)。現在でもWWEが映像の編集を外部の会社に許可したのはフジテレビだけである。2004年3月までは、実況に佐野瑞樹。解説にDDTプロレスリングの高木三四郎。2004年4月以降は三村ロンドとブラザートムが担当。テレビ東京の放送が多くのライト層の新規ファンを獲得したが、不評だったフジテレビの放送でライト層のファンを失ってしまい[要出典]、2005年、2006年のWWE日本公演(後述)の観客動員数は大幅に減少、結果として2007年の日本公演は見送られたが、2008年1月、日本でのマーケット強化を目的に、日本法人WWE Japanを設立。同社より2008年2月に再び日本公演が開催されることが発表された。
2009年からは30分ハイライト番組の「This Week in WWE」が地上波独立局であるテレビ神奈川にて放送開始する。また、2009年3月9日より日本でもハイビジョン放送が開始され、27日の放送より、3週間の「ディレイ」を短縮するべくWWE Japanが交渉した結果、10日遅れの放送に短縮されることが発表された。加えて、これまでRAWの3時間拡大版は2時間に編集されていたが、そのまま3時間番組として放送されることとなった。
PPVやレスラーを特集したDVDはユークスが発売していたが、2005年夏をもって生産を終了。代わってJ SPORTSからDVDが販売されるようになった。(アメリカ国内では2009年からPPVのBlu-ray Discもリリースされているが、日本ではリリースされていない。)
2011年10月1日にはJ SPORTSがBSデジタル放送へ進出したため、WWEの番組の初回放送は全て新生J SPORTS 2となり、また「RAW」の初回放送は毎週金曜日から毎週木曜日に変更になった。映像権などの事情により日本では約10日遅れての放送となる。
2013年3月から現地放送と同じ3時間放送へ移行し[74]、2014年からはRawとSmackDownに関して字幕無しではあるが米国放送に合わせて放送すること(SmackDownについては2時間のディレイ)が発表されたためにNXTは一旦打ち切りとなった[75]が、2014年7月にWWEと契約したヒデオ・イタミの出場に合わせて放送を再開[76]。しかし、2016年1月にJ SPORTSの再改編でNXTは[[WWEネットワーク]での配信に完全移行。また、同月にRAWは2時間版に戻り、SmackDownは8年ぶりにAfterburnとして放送を継続[77]。
2016年より、WWEネットワークが日本でも対応開始。また、2017年にはDAZNにてリアルタイム配信が開始。DAZNでは土居、斎藤のコンビの日本語実況も復活していたが、1から2年ほどで撤退した。
2017年11月より、J SPORTSで放送している字幕版の初回放送が変更され、RAWは3日、アフターバーンは6日に短縮されることを発表。
2018年12月20日にWWEとJ SPORTSが契約更新をしたことを発表し、再びRAWとSmackDownが通常版に放送が戻り、米国放送と同時刻によるリアルタイムでの放送も復活した[78]。今回の再改編ではこれまでディレイ放送だったSmackDownもリアルタイムでの放送にラインナップされており、生放送はJ SPORTS 4の担当となり、同時にJ SPORTS傘下の定額制動画配信サービスであるJ SPORTSオンデマンド並びにAmazon Prime Videoでも配信されるようになった。また、DAZNで配信されていたRAWとSmackDownの1時間のハイライト番組はJ SPORTS 3にて放送されることが発表され、J SPORTSオンデマンドではPPVが数日遅れで配信されることも併せて発表された[78][79]。
2021年11月25日、J SPORTSはWWE番組(RAW、SmackDown、PPV)の初回放送を年内で終了することを発表。また、再放送や見逃し配信は2022年1月31日までに終了することも発表された[80]。以降も、30分ハイライト番組のThis Weekが放送局を縮小しながらも放送されていたが、2022年末をもって終了し、1998年からのテレビ放映は全て消滅した[81]。その後の配信はWWEネットワークとYouTubeのみとなり、日本語版は前者におけるPLEを除き制作されなくなった。
2023年9月28日、インターネットテレビ局であるABEMAとの間で国内独占放送契約を締結し、10月から「RAW」や「SmackDown」並びに各種プレミアム・ライブ・イベント(PLE)の配信を開始する予定であることを発表[82][83][84]。1年10か月ぶりの国内放送復活となる[83]。また、同時に日本語実況も復活し、「RAW」と「SmackDown」はアメリカ本国での放送から半日以内に無料配信している[85]。また、PLEは生中継を実施し、一部PLEは無料放送を行っている[86]。なお、Abemaでの配信開始と同時にYouTubeでの配信は終了し、WWEネットワークは規模を縮小している。
2002年の再上陸以降は、ハウス・ショーが中心の興行である。2005年2月4日(RAW)、2月5日(SmackDown)にさいたまスーパーアリーナで、アジア初、世界では3カ国目となるテレビ収録での大会が開催された。通常は当日生放送(海外からの収録でも時間差で当日放送)するRAWも史上初の収録試合となった。2007年を除き、毎年日本興行が開催されている。なお日本での大会では消防法の関係でパイロなどの演出は行われない、もしくは小規模なものにとどめられ、2011年以降は福島第一原子力発電所事故の影響もあり節電にも努めている。
2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的流行により、興行が中止になって以降は日本での興行は5年間開催されていなかった。
開催年 | 開催月日 | 大会名 | 開催地 | 会場 | 備考 |
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2002年 | 3月1日 | SMACKDOWN! TOUR LIVE IN JAPAN | 神奈川県横浜市港北区 | 横浜アリーナ | |
2003年 | 1月24日、1月25日 | WWE FAR EAST TOUR January 2003 | 東京都渋谷区 | 国立代々木競技場 | RAW主催 |
7月17日、7月18日 | SMACKDOWN! UNLEASHED IN THE EAST | 神奈川県横浜市港北区 | 横浜アリーナ | SmackDown主催 | |
7月19日 | 兵庫県神戸市中央区 | 神戸ポートアイランドホール | |||
2004年 | 2月5日 | ROAD TO WRESTLEMANIA TOUR | 広島県広島市 | 広島サンプラザ | RAW主催 |
2月6日 | 大阪府大阪市中央区 | 大阪城ホール | |||
2月7日 | 埼玉県さいたま市中央区 | さいたまスーパーアリーナ | |||
7月16日、7月17日 | SMACK DOWN! at the BUDOKAN~Return of the DEADMAN~ | 東京都千代田区 | 日本武道館 | SmackDown主催 | |
2005年 | 2月4日 | ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR | 埼玉県さいたま市中央区 | さいたまスーパーアリーナ | RAW主催によるTV収録 |
2月5日 | SmackDown主催によるTV収録 | ||||
7月1日、7月2日 | WWE SUPERSHOW | 埼玉県さいたま市中央区 | さいたまスーパーアリーナ | RAW&SmackDown共催 | |
2006年 | 2月4日 2月5日 |
SmackDown LIVE TOUR | 神奈川県横浜市港北区 | 横浜アリーナ | SmackDown主催 |
10月18日、10月19日 | WWE RAW&ECW LIVE@BUDOKAN | 東京都千代田区 | 日本武道館 | RAW&ECW共催 | |
2008年 | 2月11日 | WWE RAW ROYAL RUMBLE TOUR | 東京都江東区 | 有明コロシアム | RAW主催 この大会から日本公演の大会運営をコネチカット州本社からWWE Japanに移管 |
2月12日 | 東京都千代田区 | 日本武道館 | |||
2009年 | 7月7日、7月8日 | SmackDown&ECW LIVE TOUR | 東京都千代田区 | 日本武道館 | SmackDown&ECW共催 |
2010年 | 8月20日、8月21日 | WWE RAW PRESENTS SUMMER SLAM TOUR 2010[90][91] | 東京都墨田区 | 国技館 | RAW主催 初の両国開催。 |
2011年 | 7月頃予定 | 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)並びに福島第一原子力発電所での福島第一原子力発電所事故の影響で発令された夏場における電力使用制限令により中止 冬季に変更 | |||
11月30日、12月1日 | WWE PRESENTS RAW WORLD TOUR 2011[92][93] | 神奈川県横浜市港北区 | 横浜アリーナ | RAW主催 夏季予定分の代替興行 この大会のチケット収入をはじめ各種関連イベントの収益金の一部が震災復興支援のため寄付された | |
2012年 | 8月9日、8月10日 | WWE LIVE | 東京都墨田区 | 国技館 | |
2013年 | 7月4日、7月5日 | WWE LIVE | 東京都墨田区 | 国技館 | |
2014年 | 7月10日 7月11日 |
WWE LIVE日本公演 | 東京都墨田区 | 国技館 | |
7月12日 | 大阪府大阪市此花区 | 舞洲アリーナ | 大阪大会は2004年2月6日の大阪城ホール大会以来 | ||
2015年 | 7月3日 | WWE LIVE | 東京都墨田区 | 国技館 | |
7月4日 | The Beast in the East (WWE LIVE) | WWEネットワークを通じて世界に同時生中継された | |||
2016年 | 7月1日、7月2日 | WWE LIVE | 東京都墨田区 | 国技館 | |
12月3日 | NXT Live Japan[94] | 大阪府大阪市浪速区 | 大阪府立体育会館 | NXT主催 | |
2017年 | 6月30日、7月1日 | WWE Live Japan[95] | 東京都墨田区 | 国技館 | |
9月16日 | WWE Live Osaka[96] | 大阪府大阪市浪速区 | 大阪府立体育会館 | ||
2018年 | 6月29日、6月30日 | WWE Live Japan[97] | 東京都墨田区 | 国技館 | SmackDown LIVE主催 |
8月31日 | WWE Live Osaka[98] | 大阪府大阪市浪速区 | 大阪府立体育会館 | RAW主催 | |
2019年 | 6月28日、6月29日 | WWE Live Tokyo[99] | 東京都墨田区 | 国技館 | RAW主催 |
2020年 | 7月2日 - 7月4日予定 | 新型コロナウイルス感染症及び行政からのイベント開催自粛勧告により中止[41] | |||
2024年予定 | 7月25日 | WWE supershow Summer Tour[100] | 大阪府大阪市浪速区 | 大阪府立体育会館 | 5年ぶりの日本大会 |
7月26日、7月27日 | 東京都墨田区 | 国技館 |
2016年、BABYMETALの曲「KARATE」が「NXT」の公式テーマ曲に採用されている。
現在WWEでは月に1から2度特番を行い、RAW、SmackDownの2ブランド共催で行われる。なお、試合数が限られるため、テレビ放送には出られてもPLEに出られないレスラーは多い。以前、WWEはこれらのイベントを「ペイ・パー・ビュー(PPV)」としてたが、サブスクリプション形式の動画配信サービスによるPPV大会配信が増加した事で、PPVとの言葉の使用を縮小し、現在は「プレミアムライブイベント(Premium Live Event)」と呼んでいる[101][102]。また、2018年まではテレビ放送のRAW、SmackDown!の単独開催もあった[103]。基本的に毎年行われる大会は決まっているが、特別に組まれるPLEや現在は行われていないPLE(PPV)も存在する。PLEのスケジュールは以下の通りで、日付は現地時間。
日付 | PLE名 | 開催地 | 会場 |
---|---|---|---|
8月1日 | SummerSlam[117] | ミネソタ州ミネアポリス | USバンク・スタジアム |
8月2日 |
詳しくはPPV日程「List of WWE pay-per-view events」を参照。
PLE名 | 開催期間 | 備考 |
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In Your House | (1995年 - 1999年) | |
Over the Edge | (1998年 - 1999年) | |
Fully Loaded | (1998年 - 2000年) | |
InVasion | (2001年) | |
King of the Ring | (1993年 - 2002年、2006年、2008年、2010年、2015年、2019年) | |
Taboo Tuesday | (2004年 - 2005年) | Cyber Sundayに変更 |
December to Dismember | (2006年) | |
New Year's Revolution | (2005年 - 2007年) | |
One Night Stand | (2005年 - 2008年) | Extreme Rulesに変更 |
The Great American Bash | (2004年 - 2008年) | The Bashに変更 |
Unforgiven | (1998年 - 2008年) | |
Cyber Sunday | (2006年 - 2008年) | Bragging Rightsに変更 |
Armageddon | (1999年 - 2008年) | TLCに変更 |
Judgement Day | (1998年 - 2009年) | Over the Limitに変更 |
The Bash | (2009年) | |
Breaking Point | (2009年) | |
Fatal 4-Way | (2010年) | |
Capitol Punishment | (2011年) | |
Vengeance | (2001年 - 2007年、2011年) | |
Bragging Rights | (2009年 - 2010年) | |
No Way Out | (1998年、2000年 - 2009年、2012年) | |
Over the Limit | (2010年 - 2012年) | |
Roadblock: End of the Line | (2016年) | |
Great Balls of Fire | (2017年) | |
No Mercy | (1999年 - 2008年、2016年 - 2017年) | |
Battleground | (2013年 - 2017年) | |
Stomping Grounds | (2019年) | |
King of the Ring | (1985年 - 1989年、1991年、1993年 - 2002年、2006年、2008年、2010年、2015年、2019年、2021年) | |
Super ShowDown | (2018年 - 2020年) | |
Tables Ledders and Chairs | (2009年 - 2020年) | |
Clash of Champions | (2016年 - 2020年) | |
DAY 1 | (2022年) | |
Hell In A Cell | (2009年 - 2022年) | |
Extreme Rules | (2009年 - 2022年) | |
Night of Champions | (2008年 - 2015年、2023年) | |
Payback | ||
Fastlane |
アルマゲドン2002までの特番はJ SPORTS(旧:J Sky SPORTS)で通常放送されており料金を払わずに視聴することができたが、WWE側の要望により、ロイヤルランブル2003より本国同様のPPV形式となった。加入しているケーブルテレビによってはPPVに対応していないため、これに伴い日本でも以降の特番はすべてDVD化されるようになり、日本語字幕版のPPV放送が打ち切られる2015年末まで販売された。
J SPORTSでの通常放送と同じく約10日遅れ(2009年2月までは3週間遅れ)ての放送であった2014年からはVOD限定(WWE日本語公式サイト(WWE Japan Videos)、DMM、J:COM等[118])で英語版(字幕無し)を2日遅れで放送することが発表された。スカパー!ではスカチャンでのPPV放送。初回放送は木曜日。ケーブルテレビJ:COMではJ:COMオンデマンドにて放送。配信開始は金曜日で、視聴料金は4大PPVのロイヤルランブル、レッスルマニア、サマースラム、サバイバー・シリーズは2,100円/番組。その他は1,575円/番組。
また、スカパー!、スカパー!プレミアムサービスにて上記の1年間開催されるPPVを全て視聴できるパックセットも販売されていた。(WWEスペシャルリングサイド2014:14,700円/一括払い<4月以降は15,120円>)。スカパー!ではPPVを行なっていないため、WWEスペシャルリングサイドでの一括購入のみで個別大会の購入はできなかった。その他にも、2015年のみニコニコ生放送(ニコニコ動画)で字幕なしの英語版のみの配信があり、視聴には番組あたり2,160ニコニコポイントが必要でタイムシフトも1回のみ可能だった。
2016年にWWE NETWORKが日本でも開局した後は同サービスでPPV大会を視聴出来るようになる。また、日本語実況版が当初は製作されていたが、2020年までに消滅した。また、WWE NETWORK開局後は、PPV販売は一時停止していたが、後にJ SPORTSオンデマンドによりPPV配信が復活し[119]、2020年10月からはJ SPORTS独自の実況が付けられていた。しかし2021年末にPPV販売も終了した[120]。
2023年10月より、ABEMAにて生中継でのPLE配信を開始[121]。数年ぶりに日本語実況が制作され、ABEMAでの放送初回となる、「ファスト・レーン2023」は無料放送されるなど一部PLEは無料生中継され[122][123]、5大PLE(上記4大PPVに加えマネー・イン・ザ・バンク)はPPV配信(4,000円/1大会)される[124]。
時々ハウスショーが特番としてWWEネットワークで放送されることがある。また特定の選手を集めて行うトーナメントを開催してWWEネットワークで放送されることもある。
年代 | イベント名 | 開催地 | 会場 |
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2016年 | WWEクルーザー級クラシック | フロリダ州ウィンター・パーク | フル・セイル大学アリーナ |
2017年 | WWE英国王座トーナメント | イギリス、ランカシャー州ブラックプール | エンプレス・ボールルーム |
2017年 | WWEメイ・ヤング・クラシック | フロリダ州ウィンター・パーク | フル・セイル大学アリーナ |
2018年 | WWEメイ・ヤング・クラシック | フロリダ州ウィンター・パーク | フル・セイル大学アリーナ |
WWEでは、多彩な試合形式が行われる。WWE発祥の試合形式も存在する。
ディーヴァ関連の試合形式
アンダーテイカー関連の試合形式
一夜限りの試合形式
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。 |
WWEでは、興行の楽しみ方のキーワードとして、「観客参加型」を提唱。主に以下のものが主流となる。
WWEではアングル上、スーパースターの兄弟や夫婦、親戚といった設定が出てくるがもちろん全てが真実な訳ではない。特に、1980年代後半からタッグチームの多くに兄弟、親戚のギミックが頻繁に設定された。ただし、実際の人間関係がストーリーに絡むことも多く、そこにこの団体を楽しむ醍醐味がある。