「YELLOW YELLOW HAPPY」(イエロー・イエロー・ハッピー)は、1996年9月4日に発売されたポケットビスケッツ2枚目のシングル。
週間オリコンチャートではトップ3に1度も入ることはなかったが、ロングヒットとなりミリオンセラーを達成。ポケットビスケッツ最大のヒット曲となった。
- ジャケットは神奈川県横浜市のみなとみらいで撮影[1]。
- CDの発売に際して「普通の番組では考えられない予算」(番組ディレクター・塩谷祥隆[2])を投じて、前作では製作されなかったミュージック・ビデオが製作された。
- 発売後、テルが自主的に「Rapturous Blueの最高20位に届かなかったら解散」という条件を出したが、オリコンチャートで初登場8位を記録。活動継続となった。[3]。
- 今作のオリコンでの最高位は4位。累計約150万枚を売り上げている[4]。
- デビュー曲「Rapturous Blue」では全編当て振りだったテルだが、この曲の間奏ではピアノソロを担当した。
- 作曲はプロデュースもしている爆風スランプのパッパラー河合で、『決定版!爆風スランプ大全集2 〜The Very Best Of パッパラー河合〜』でセルフカバーしている。
- ピアノソロ以外の間奏で、千秋の歌声が聞こえる部分がある。これはサビをサンプリングしたもので、逆再生することで1番の間奏では1番のサビが、2番の間奏では2番のサビが使用されていることが分かる。
- 2021年、配信番組「ザ・マスクド・シンガー」シーズン1において、出場したイカキング(正体はサンプラザ中野くん)がYELLOW YELLOW HAPPYを歌唱しており、同時期にサンプラザ中野くん個人のYouTubeチャンネルでもカバーしている。
- 2023年12月31日、ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツとして25年ぶり2回目の出場となった第74回NHK紅白歌合戦では「YELLOW YELLOW HAPPY~Timing」の中で歌唱した[5]。
- リリース前、千秋の歌詞ノートの中に「もしも生まれ変わってもまた私に生まれたい」という一文を見つけたパッパラー河合が譜面を提案したが、千秋は「その言葉は私のすべてだから2曲目はちょっと早い」と渋っていたことが、2024年3月に公開された動画[6]の中でパッパラー河合によって語られた。しかし千秋はこのことを覚えていなかった。
作詞:CHIAKI&ポケットビスケッツ、作曲・編曲:パッパラー河合
- YELLOW YELLOW HAPPY
- YELLOW YELLOW HAPPY(Original Karaoke)
YELLOW YELLOW HAPPYには、シングルで発売された音源と、Colorfulに収録された「Album Version」が存在する。収録状況については次の項目を参照。
- ^ 1999年にFM yokohamaの「The Ranking」で、TERUが「青の住人」を生演奏することになった際に「ウリナリ!!」内で触れている
- ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.46
- ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.26
- ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.12
- ^ ~テレビ放送70年 特別企画 「テレビが届けた名曲たち」~
歌唱曲が決定! https://www.nhk.or.jp/kouhaku/topics74/topics_231221-2.html
- ^ 千秋の歌YouTube 2024年3月5日の投稿
- ^ “【シンデレラ7thLIVE】「Comical Pops!千葉公演」DAY2ご来場いただきありがとうございました!! 本日の発表内容まとめはこちら!”. THE IDOLM@STER OFFICIAL WEB. バンダイナムコエンターテインメント (2019年9月4日). 2019年9月5日閲覧。